虐待と、そうでないもの

改正児童虐待防止法ではしつけと称したあらゆる体罰を禁じるようになりました。また、程度が軽くても子供に手を挙げることは虐待だとみなす人も大勢います。たとえ大人にとっては軽度な内容でも、子供を悲しませる行為に違いないため、そうした意見を否定しません。

しかしこの記事で伝えたいことは異なります

カッとなって叩く、突き飛ばす、怒鳴る、兄弟を比較するようなことを言う、酷いことを言う、数時間無視する、一食抜く、無理矢理食べさせる

といった内容(相手が子どもであることを前提とした、程度加減された範囲の暴言暴力)で一時的なもの、かつ後で親自身が罪悪感や反省を思い知るもの。それらは、語弊を恐れずに言うのであれば「虐待ではない。

当然決して望ましい行為ではありませんが、普通の家庭の、普通の子育ての中で起きてしまう親の失態です。親がそのような失態を犯してしまったことに、親自身が気づいており、後で子供に謝ったり、フォローしたりします。

一方で真の虐待は、明らかに上記の一時的な暴言・暴力とは一線を画しています。

身体的虐待であれば、腹を蹴る、風呂に沈める、歯を折る、タバコの火を押し付ける、逆さ吊りにする

ネグレクトであれば、料理の質や量が極めて悪い、風呂や歯磨きをしない、ごみ屋敷

心理的虐待であれば、毎日暴言を言ったり無視する、一緒に死のうと言う、親戚の前で執拗に笑いものにする、離婚していないが彼氏の話をする、遊びに行くのを許可しない。など

それらは日常的に繰り返され、数か月、数年~と長期にわたります。また長期でなくとも、性的虐待や首を絞める、乳児の頭揺らしといった、例え一回限りだとしても子に重篤な悪影響を与える行為もあります。

つまり、真の虐待は、その継続性と異常性が顕著です。普通の親がどれだけ子供に怒り心頭しても、まずもって起きない内容だということです。

また更に異常な事に、これだけの行為をする際、多くの虐待親には躊躇がなく、心は痛まず、悪いとさえ思っていない。そのため当然反省もありません。確かに、虐待をして罪悪感を感じることのできる親もいますが、実はそのタイプの親は全体の2~3割程度で、残りの虐待親は前述したとおり、子を虐待しても心が痛まないのです。

「子育ては想像以上に大変で、ごく普通の家でも虐待は起こりえる。他人事ではない。」という意見があり、その意見を完全に否定することはしません。しかし、真の虐待は子育ての日常で時おり起きる、親の失態とは一線を画す異常な内容だということ。それを直感的に理解することが、虐待理解の上で大変重要になっていきます。

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