虐待と「しつけ」の違いとは?|境界線を知るための基礎知識

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それは「しつけ」の延長ではない。

2018年の児童虐待防止法の改正により、しつけと称した体罰が全面的に禁じられるようになりました。

ニュースで痛ましい虐待死事件が報じられるたび、コメンテーターたちは神妙な顔でこう締めくくります。

「私も子育て中の身ですが、子育ては本当に大変です。【孤育て】とならないよう、SOSを出しましょう。」

「追い詰められたら、誰だって虐待してしまうかもしれない。明日は我が身です。」

一見、子育てに奮闘する親たちへの配慮のある言葉に聞こえます。しかし、虐待という地獄を生き延びたサバイバーの方々の胸には、どうしても拭いきれない違和感、あるいは激しい拒絶反応が残るのではないでしょうか。

「あんなことが、『誰にでも起こりうる』ことなのか?」「私の親も、少し追い詰められていただけなのか?」

もし、虐待が「普通の育児の延長線上」にあるのなら、あなたを傷つけたあの親もまた、「普通の親」だったことになってしまいます。そして、「普通の親」をそこまで追い詰めたのは、手のかかる子供だった自分なのではないか――。そうやって、またしても自責の迷路に迷い込んでしまうのです。

今日は、その誤解を解きましょう。はっきりお伝えします。

「真の虐待」は、普通の育児の延長線上にはありません。そこには、グラデーションではなく、「決定的な断絶(越えられない壁)」が存在します。

この記事では、世間で混同されがちな「普通の親の失態」と「虐待」の違いを、感情論ではなく、客観的な観点から明確に切り分けます。これを読めば、あなたが受けたものが「しつけ」でも「愛の鞭」でもなく、ましてや「懸命な子育ての中で起きた不幸」でもない、もっと別の、異質な現象であったことが腑に落ちるはずです。

第1章:普通の親の「失態」とは何か

まず、誤解を恐れずに定義しましょう。以下の行為は、本質的な意味での「虐待」ではないと、本ブログでは明言します。

カッとなって頬を叩く、突き飛ばす

感情的に怒鳴り散らす

「お兄ちゃんのくせに」「弟でもできることなのに」などと兄弟を比較して傷つくことを言う

「ご飯抜き!」と言って一食抜く、あるいは無理やり食べさせる

「えっ、それらも十分虐待では?」と驚かれるかもしれません。確かに、現在の法律上ではこれらも「虐待」と定義されますし、子供の心を傷つける不適切な言動には変わりありません。決して「問題ないもの」ということと言いたい訳ではありません。

(!)

しかし、これらは「相手が子どもだということを前提として、程度加減された範囲の暴言暴力」であり、かつ「一時的」なものという特徴を押さえる必要があります。

本ブログにおいては、これらはあえて「虐待ではないもの」とし、「普通の家庭の、普通の子育ての中で起きてしまう親の失態」と定義することとします。

「普通の親」であっても、人間です。聖人君子ではありません。

仕事で疲れ果て、寝不足が続き、何度言っても聞かない子供を前にすれば、理性のタガが外れ、つい手が出てしまう、ひどい言葉を投げつけてしまうといった失態を招くことがあります。

ただし、ここで明確に押さえておくべき「決定的な違い」があります。それは、普通の親がこうした「失態」を犯した時、そこには必ずセットでついてくる感情があることです。

それが、「後悔」と「自責」です。

普通の親は、自分が失態を犯して暴走してしまったことに対して「しまった……」と深い後悔を覚えます

子供の怯えた目にハッとして、胸を刺され、自分のしたことを振り返り、「自分はなんてことをしてしまったんだ」「しつけと言いながら、結局はただ怒りに任せてキレていただけではないか。」と気づき、苦悩します。

叩いてしまった自分の手のひらがジンジンと痛み、その痛みが、まるで罰のように長く残ります。

これが、「親としてのブレーキ」です。暴走しても、ブレーキがかかるのです。自分がしたことの逸脱具合を、事後にきちんと認識できるのです。だからこそ、失態の後は、子供にきちんと謝ったり、絵本を読んであげるなど子供のご機嫌を取り戻し、贖罪のような行動をとろうとします

なぜ普通の親にはこの「ブレーキ」が備わっているのか。その答えは、親子の間に成立している「心の繋がり」にあります。普通の親がどれだけ余裕がなくても、子供に怒り心頭しても、人間の尊厳を踏みにじるこれら行為は、まずもって実行不可能なのです。この仕組みについては以下の記事で詳しく解説しています。

つまり、「普通の親の失態」は「一時的な失態」であり、その後には必ず「ブレーキ(自責)」と「修復(ケア)」が働くため、継続しないのです。

では、振り返ってみてください。あなたが受けた仕打ちはどうでしたか? そこに「一時的な」という言葉は当てはまりますか? そして何より、親からの「心からの謝罪」や「苦悩する姿」を見たことはありますか?

もし、答えがNOならば。あなたが体験したのは「失態」ではありません。それは、ブレーキのない車による暴走、すなわち「真の虐待」です。

ここまでの内容を踏まえ、「普通の親の失態」と「真の虐待」の違いを整理します。

比較項目 普通の親の「失態」 「真の虐待」
行為の性質 感情的な爆発・一時的な暴走 継続的・執拗・意図的
後悔・自責 あり(「あんなことしなければ」) なし(ためらいの欠如)
修復行動 あり(謝罪・ケア・抱きしめ) なし
行為の内容 軽微(叩く・怒鳴るなど) 急所への攻撃・道具使用・生命の危険
共感性 子の痛みが伝わり止まれる 子の痛みを感知できない・顧みない・楽しむ
子への影響 傷つく・信頼が揺らぐ 存在を根底から否定される

第2章:「真の虐待」

「真の虐待」は、先ほど挙げたような「ついカッとなって」というレベルとは、明らかに一線を画しています。その内容は、継続的であり、執拗であり、そして何より「異常」です。

普通の神経(共感性)を持った人間では、これらを実行することは精神的に不可能です。なぜなら、やっている最中に「自分が痛くなる」からです。

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