いつか大人になった時に自分で生きていくために
あるいはパートナーと協力し合って生きていくために
必ず必要になるいくつかの過程が子供時代にはあります。
それらは子どもが自ら獲得するように見えたりしますが、実際それらを得られるかどうかは親に起因します。
衣食住を除けば、親が子どもに与えられる最も大切なギフトです。
このように書くと何か特別なものかと期待させた挙句
読者の中には「なんだ、そんなの当たり前の子育てじゃないか。」と落胆してしまう人もいるかもしれません。
しかし、これから書く「そんなこと」が、実は最も尊く、かつ子供の人生に与える影響度の大きいことだと知って頂きたいのです。それでは、まず最初の〇〇を獲得する過程を見ていきましょう。
必要なギフト①=○○をもらう
1.気持ちを言葉にしてもらう
泣いている赤ちゃんがいれば、お母さんは例えばこんなふうに声を掛けます。
「なあに?どうしたのかな?」
「お腹が空いたのね、ミルクを作ってくるわね。」
「おむつを替えてほしいのね。キレイキレイしようね。」
「眠たいのね。抱っこしてあげるね。」
「暑いのね。一枚脱ごうか。」
「泣き止まないわね。こうかしら、それともこれかしら・・」
1歳、2歳の子を持つお母さんならどうでしょうか。例えばこんなふうだと思います。
「転んで痛かったね。可哀そうに。」
「これをママに見てほしいのね。本当ね。可愛いわね。」
「お腹いっぱいなの?無理して食べなくていいのよ。」
「(保育園などで)今日、そんなことがあったのね。良かったね。」
「あのおもちゃを使いたかったのね。我慢してえらかったね。」
「怒られると思ったのね。大丈夫よ。でも次はちゃんとおトイレ行こうね。」
「弟くんが羨ましかったのね。でも叩いたら痛い痛いでしょ?一緒にごめんねしよう。」
「迷子になっちゃったと思ったのね。怖かったね。でももう大丈夫よ。」
我が子に向かって様々な声掛けをするお母さん。彼女たちは、つまり何をしているのでしょう。
それは、まだ自分の気持ちが、いったい何なのか分からない我が子の気持ちを、その状況や表情から読み取り、その気持ちに寄り添って、言葉にしてあげている、ということです。
2.自分の気持ちを名付けてもらえて○○
赤ちゃんや幼児は、自分の心に湧きあがる様々な感情を、言葉にすることはもちろん実は、何なのかさえ分かっていません。特に赤ちゃんは、快・不快の感覚が心を無秩序に埋め尽くしているだけです。分からないから、泣いたり、叫んだり、何も言えなくなったりします。そこにお母さんが「あなたの今感じている気持ちは、きっとこれでしょう?」と優しく声を掛けてもらえることで、その気持ちには「嬉しい」「美味しい」「不安」「怖い」といった名前があることを知ります。
何だかよく分からなかったそのキモチが、お母さんによって名付けられることで子どもは安心するのです。
得体の知れないものだと不安になりますが、それが何なのか分かると不安が解けるというのは大人でも体感することがありますよね。それと似ているように思います。
3.自分の気持ちをお母さんに受け止めてもらえて〇〇
自分の気持ちを言葉にしてもらえると、その気持ちは自分だけで感じているのではなく「お母さんも感じてくれた」「そのキモチを持っている今の自分を受け止めてもらえた」とこどもは安心します。仮にネガティブな気持ちだったとしても、お母さんが言葉にしてくれることで、「抱いてもよいキモチ、感じても良いキモチ」なのだと、安心するのです。
まだ自分の気持ちを言葉にできない我が子の気持ちを、その状況や表情から読み取って、その気持ちに寄り添って、言葉にしてあげること。その経験を繰り返し、繰り返し、大体2年くらいかけて繰り返し言葉をもらうことで
こどもは「安心」という心の状態を獲得します(タイトルの〇〇は「安心」でした)。これは人が健全に生きていくために、絶対になくてはならない心の土台のようなものであり、人間のこどもが親から最初にもらう、とても大切なギフトの一つです。
親がこどもをちゃんと甘えさせてあげられた証です。普通の親の元で育った人が親になると、特に教わるわけでもないのにできてしまったりします。
ギフトを得られなかった子どもたち
そしてこれを全くしてもらえなかった子どものことを、「被虐待児」と言ったりもします。上記のようなやり取りがないことを「虐待」と記すのはまだ少し飛躍がありますが、実際、特に赤ちゃんの頃から母親に虐待をされていた子供は、上記で得られる「安心」というギフトを得られていないことが非常に多いです。この「飛躍」については別の機会で書いていこうと思います。
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