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いつか大人になった時に、自分の力で生きていくために。あるいは、誰かと協力し合って生きていくために。子ども時代には、必ず獲得しなければならないいくつかの過程があります。
それらは子どもが自ら獲得するように見えたりもしますが、実際にそれらを得られるかどうかは、親に起因します。衣食住を除けば、親が子どもに与えられる最も大切なギフトです。
これから書く内容は、特別なものではありません。“当たり前の子育て”の中にある、ごく当たり前のことです。しかし、その“当たり前”が実は最も尊く、子どもの人生に与える影響も最も大きい。そのことを、この記事では書いていきたいと思います。
子どもに最初に必要なギフト
子どもは、生まれたばかりの頃から、さまざまな気持ちを感じています。お腹が空いた、眠い、痛い、怖い、嬉しい、寂しい。けれど、その気持ちにはまだ名前がありません。言葉も、まだ持っていません。
そこにいるのが、お母さんです。
お母さんは、子どもの表情や仕草、その場の状況から、子どもが今何を感じているのかを読み取ります。そして、その気持ちに言葉を与えます。
「転んじゃったのね。痛かったね。可哀そうに。」
「これをママに見てほしいのね。本当ね。可愛いわね。」
「お腹いっぱいなの?無理して食べなくていいのよ。」
「今日、そんなことがあったのね。良かったね。」
「あのおもちゃを使いたかったのね。我慢してえらかったね。」
「怒られると思ったのね。大丈夫よ。でも次はちゃんとおトイレ行こうね。」
「弟くんが羨ましかったのね。でも叩いたら痛い痛いでしょ?一緒にごめんねしよう。」
「迷子になっちゃったと思ったのね。怖かったね。でももう大丈夫よ。」
お母さんがしているのは、とてもシンプルなことです。子どもの気持ちを読み取って、それを言葉にして、受け止めている。ただそれだけです。
でも、この「ただそれだけ」の中に、子どもの心の土台をつくる、とても大きな力があります。
名前をもらうことで安心が生まれる
子どもの中に湧き上がる気持ちは、最初は形のないものです。それが嬉しいのか、悲しいのか、怖いのか、子ども自身にはまだわかりません。ただ体の中に「何か」がある。それが何なのかがわからないというのは、子どもにとって很く不安なことです。
お母さんが「怖かったね」と言ってくれる。その瞬間、子どもの中で形のなかった「何か」に、初めて輪郭が与えられます。「これは『怖い』という気持ちなんだ」と、子どもは初めて知るのです。
そして、名前を知ると同時に、もう一つ大切なことが起こります。
お母さんに「怖かったね」と言ってもらえるということは、「怖いと感じてもいいんだ」と許されることでもあります。それがネガティブな気持ちであっても、お母さんが言葉にしてくれることで、「抱いてもよい気持ち、感じてもよい気持ちなんだ」と、子どもは安心します。
読み取って、名前を与えて、受け止める。この三つの繰り返しを、およそ2年くらいかけて繰り返してもらうことで、子どもは「安心」という心の状態を獲得します。
これが、親が子どもに最初に与えるギフトです。親がこどもをちゃんと甘えさせてあげられた証です。「普通の」親の元で育った人が親になると、特に教わるでもなく自然とできてしまうものでもあります。
「安心」という土台がつくるもの
「安心」を獲得した子どもは、その後の人生で多くのことが可能になります。
まず、「自分の気持ちを感じても大丈夫」という体験が積み重なることで、子どもの心に「信頼」が芽生えます。自分の気持ちを信頼すること、そして、それを受け止めてくれた親を信頼すること。これが、人と人とのつながりの出発点になります。
この信頼の感覚は、やがて子どもが成長し、親以外の人と関わるようになったときに、そのまま「他者への信頼」へと広がっていきます。友だちを信じること、先生を信じること、いつかはパートナーを信じること。そのすべての出発点が、幼い頃にお母さんからもらった「安心」の中にあります。
「安心」は、人が健全に生きていくための、最も基本的な心の土台です。それは、子どもが親から最初にもらう、とても大切なギフトなのです。
このギフトを得られなかった子どもたち
では、これを全くしてもらえなかった子どもは、どうなるのでしょうか。
気持ちを読み取ってもらえなかった子どもは、自分の中に湧き上がる「何か」に、名前をもらえないまま大きくなります。それが怒りなのか、悲しみなのか、寂しさなのかもわからない。ただ体の中に、得体の知れない苦しみだけが溟まり続けます。
受け止めてもらえなかった子どもは、自分の気持ちを「感じてはいけないもの」として封じ込めるようになります。怒りを感じてはいけない。悲しいと思ってはいけない。そうやって自分の心から目をそらし、「何も感じない」ことで自分を守ろうとするのです。
そして「安心」を知らないまま大人になったその子どもは、人を信じることができません。信頼の土台がないからです。誰かと一緒にいても安心できない。「普通に」人と関わることが、どうしてもできない。それは、その人の責任ではありません。最初のギフトを、もらえなかっただけなのです。
殊るとか、歌うとか、叩くとか、そういった目に見える行為だけが虐待ではありません。子どもの気持ちを一切読み取らず、名前も与えず、受け止めることもしない。その静かな不在もまた、子どもの心を深く傷つけます。
次の記事では、子どもの健全な育ちに必要な第二のギフト——「自我」について書いていきます。



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