児童虐待を自ら「相談機関に相談できる人」・「できない人」はなぜ分かれるのか?

本ブログに足を止めてくださり、有難うございます。この記事では、「軽度知的障がい」や「境界知能(ボーダー)」等への言及があります。こちらの記事をご覧いただくにあたっては事前に下記の記事をご覧いただくようお願い申し上げます。

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「虐待してしまうかも」とSOSを出す母親と出さない母親

児童虐待事件には、「子供が保護される前に、母親が役所に子育ての悩みを相談していた(のに家庭訪問に行かずに虐待を防止できなかった)。」といったフレーズをニュースで聞くこともあると思います。児童虐待には「子供に虐待してしまいそうだ。(or虐待をしてしまっている)」と自ら相談機関にSOSを出していた母親と、出していなかった母親の2択が存在します。

一応補足すると、本当は相談に行きたくても、何らかの理由でいけない親もいれば、逆に相談などする必要はないと思っているけれど、誰かに言われて仕方なく行く親もいるので、必ずしも、実際に「相談した・してない」が全てではありませんから、ここでは、「本当は相談したいと思っている母親」と「相談する必要などないと思っている母親」の違いということで見ていこうと思います。

まず、後に児童虐待を起こしてしまう母親ですから、普通に考えれば「我が子を虐待してしまう程、子育てに悩んでおり、精神的に追い詰められていた」と考えるのが自然です。そして、そうなる前に「誰かに助けてほしい、誰かに相談したい」という気持ちを持っているのが、ある意味普通です。

問題は、他方の相談する必要などないと思っている母親です。この母親の存在を考えるには、「悩み」と「不適応」の違いについて理解することが重要です。児童虐待はあまり身近ではないと思うので、まずは仕事場を例に「悩み」と「不適応」の違いを見ていただきたいと思います。

ケースワーク 仕事ができないAさんとBさんの違い

とある職場に仕事がうまくいっていないAさんとBさんがいます。

2人とも、仕事に遅刻したり、同じミスを何度もしたり、取引先とうまくやれなかったりと、何かとトラブルが多いです。

同僚は、フォローで残業が多くなったりして大変そうです。

「仕事がうまくいっていない」という点で共通しているAさんとBさんですが、

しかし同僚たちの2人を見る目は全く異なるものでした。

Aさんの場合

Aさんは朝起き上がるのが苦手です。夜は深夜になっても眠りにつけないし、朝は今日1日を思い、身体が鉛のように重たくなります。身体をひきづるようにしてどうにか身支度をして出勤しますが、遅刻してしまう日もたまにあります。

新しい仕事の説明を受けても、頭にモヤがかかったように内容が頭に入ってこず、理解できないけれど、何度も教えてもらうのが申し訳なくて、聞き直せません。ミスをすれば、ビクビクしながら上司に報告に行き、上司から黙って注意を受けています。

取引先との会議はいつもオドオドしてしまったり、ミスを重ねて、「あなたでは心配だ」と言われてしまいました。

Aさんは自分の仕事のできなさを痛感しており「同僚に迷惑をかけて申し訳ないな」「給料もらってるのに…社会人失格だな…」と深く悩みます。Aさんは通っているクリニックの先生に最近の調子を尋ねられると「相変わらず、仕事で悩んでいまして…」と話します。

Bさんの場合

Bさんは深夜までゲームをしたり飲み歩いたりして、朝起きられません。あるいは遅刻しそうなのに、コンビニに寄って出社したりもします。

仕事の説明を受けると、よく理解もせずに仕事を進めます。ミスをしても放っておいてバレた時に注意されると、「そんな説明受けていない」と言い返します。

取引先に、不誠実な約束をしてしまい、案の定約束を破り、怒らせてしまいました。

Bさんは、「面倒ばっかりで割りに合わない仕事だ」と嘆き、同僚にフォローしてもらっていることを自覚せず、いつも人のせいです。深いため息をついたBさんに友人が理由を尋ねると「最近仕事で悩んでるんだよ!」と愚痴を言います。

「悩み」と「不適応」の違いは○○の有無

さて、AさんとBさんの違い、皆さんはどうご覧になりましたでしょうか。2人とも知人に「仕事で悩んでいる」とこぼしていましたね。言葉の普段使いでは二人とも「悩んでいる」で良いですが、専門的に言えばBさんは悩んでいるのではなく「不適応を起こしている」と言えます。

悩みと不適応の違いを端的に言えば、「葛藤の有無」です。葛藤とは、相反する二つの気持ちの戦い、揺れ動きです。今回でいえば①「仕事は周りに迷惑を掛けずにしっかりやらなきゃいけない。」という気持ちと②「仕事はしんどいからやりたくない。」という気持ちです。

Aさんは「今の自分では仕事なんてできないけれど、そんな自分ではいけない、同僚に迷惑を掛けたくない」と①の気持ちが強く、頑張って仕事に行くわけです。私たちも、大なり小なり経験したことがある葛藤だと思います。葛藤が起きる場合、たいてい①にあたるのは「義務や理想」で、②にあたるのが「欲求や本心、衝動」などです。そして、①を自分が守れていないと思うと、罪悪感が生まれ、葛藤が強くなります。Aさんの葛藤は何らかの理由があり、更に強く出ていますが、「仕事に行き詰まり悩む」Aさんの心理は大人として正常であると言えます。

一方Bさんには、②「仕事はしんどいからやりたくない。」は持っていますが、①「仕事は周りに迷惑を掛けずにしっかりやらなきゃいけない。」という気持ちが限りなく0に等しいのでしょう(ミスをしてもAさんのように報告せずに黙って放っておいていることや同僚にフォローされている自覚がないことからも分かります。)。葛藤は①と②の気持ちの引っ張り合いですから、①を持たないBさんには葛藤は生まれません。葛藤がないと罪悪感も生まれません。

2人の同僚は、2人の罪悪感の有無を、彼らの態度、表情から敏感に感じ取ります。「2人ともフォローしないと大変なのは一緒だけど、Bさんのあの態度はなんだ!」と憤りを感じるはずです。恐らく、Bさん自身ではなく、同僚の人たちがBさんに悩んでいるはずです。

現実でも皆さんの近くには、程度の差こそあれ、恐らくBさんより、Aさんタイプの人が多いかと思います。

「虐待相談しない母親」は子育てに葛藤を持っていない

話を戻しましょう。「虐待してしまうかも」とSOSを出す母親と出さない母親の違いは、葛藤の有無です。つまり相談したいと思う母親は子育てに悩んでおり、相談の必要性を感じていない母親は子育てに不適応を起こしています。

SOSを出す母親=Aさんタイプで、自分が①「暴力を振るわずにちゃんと子育てしないといけない」のに②「子供に手を挙げたい」衝動と葛藤しており、自分が①を守れなそうだと自覚できている母親だからこそ、自ら相談機関にSOSを求めに行きます。「自分はだめな母親」だと罪悪感を持ちます。

一方、SOSを出さない母親=Bさんタイプは、①「暴力を振るわずにちゃんと子育てしないといけない」という普通に考えれば当たり前な「義務」を理解しておらず、①を持っていないため、ストレス発散のままに②「子供に手を挙げたい」気持ちが実行されます。恐らく母親自身よりも周りが心配になり、「ちょっと…子育てが大変なら、子育て支援課にても相談してみたら?」と言われるのではないでしょうか。悩まない母親は、相談に行く動機を持たないのです。

軽度知的障がい・境界知能との関連

では、なぜBさんのように葛藤を持たない、悩まない人がいるのでしょうか。

それこそが、「軽度知的障がい・境界知能」と関連してきます。

彼らは葛藤を生ませるための①「義務・理想」といった社会常識やマナー・ルールを自分事として理解することに限界を持っています。理解の程度としては小学生低学年程度以下とされています。

たとえば小学生は①「宿題をやらなければいけない」ことは理解しますが、もし忘れてしまっても大人が仕事をやり忘れた時ほど悩みません。それは①「宿題をやる義務」が大人に言われてやっているだけにすぎず、「宿題をやることで学力を定着させ、それは自分のためになる」といったように自分事として理解するまでに追いついていないからです。

一時的に焦ったり困ることはあっても、「葛藤を持った悩み」までにはいきません。軽度知的障がい・境界知能の人たちも同様です。小学生低学年程度の理解により、一見すると義務を果たせずに悩んでいるように見えることもありますが、その時の彼らは実は「葛藤を持った悩み」「深い罪悪感」まではいかず、「困っている」「反省している」といった方が適しています。

支援者側が理解しないといけないのは、「虐待をしてしまいそうだ」と自ら申告してきた母親は、その心理的背景から言って「自分の問題を自覚」でき、「子供を守りたい」と思っている、知的に正常であり、親心を持った普通のお母さんだということです。彼女たちの「虐待してしまいそう、してしまった」という言葉に焦って咎めたり、アドバイスをしようとするのではなく、彼女たちの話をできるだけ口を挟まずに最後まで聴くことが非常に大切になります。

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