アダルトチルドレンが抱えやすい問題は?

前回記事で、アダルトチルドレン(AC)とは思春期を乗り越えられずに学童期に留まっている人のことだと書きました。

そしてそれは、生きていく上で守るべき指針(価値観)自分の中に作ることができずに親の価値観に従う生き方を継続している人だ、とも書きました。

そうなると、どんな弊害が起きやすいのでしょうか?具体的に見ていきましょう。

目次

ACが抱えやすい弊害

①人生の決定権を親が持ったまま

親の価値観を乗り越えられず、自分自身の価値観を形成できないと、成人した後の自分の人生を主体的に決めるのは自分ではなく、親のままになります。つまり、

・(半強制的にor疑問を抱かずに)何でもかんでも親に決められてしまう

・(自ら)親に聞かないと不安で決断できない

・親の価値観・言う事は全て正しいと思い込んでいる

・親の価値観・言い付けに沿って物事を判断する(「親ならこう言うだろう」と想像して判断する)

などです。日常ではさほど問題化しなくとも、人生の重要局面で、相手に不信感を持たせてしまいます。例としては、結婚相手を親に判断してもらう、新居の詳細まで親の言う通りにするなどで配偶者を不安にさせてしまう等。

成人期同士の親子でも、大事なことを決める際(家を買う、転職する等)に子が親にアドバイスを求めることはあります。ただしその場合は「最終的な決定は子ども自身がする」ものだと親子共に分かっています。

②生活が自立しない

親から精神的な自立を果たせないと、親の保護下から脱却したいという意志が生まれにくくなり、その後の経済的な自立にも悪影響となります。社会人になって一定年数経過しても、特別の事情なしに親に経済的に頼ったり、家事をやってもらっている。親からお小遣いをもらっている、など。そして、成人しても親に養ってもらっていることへの危機感や羞恥心が薄い、感謝しない。

③屁理屈が多い

口達者になった子供の「ああ言えばこう言う」を彷彿とさせるような自己主張が多いです。状況や立場を考慮すれば不適切な持論や屁理屈、正論だけれども配慮が足りないことを、臆することなく堂々と言ってのけます。

④他人任せ

精神的な自立が果たせず、心が子供のままだと、「当事者意識」が芽生えません。子育てならば、配偶者に育児を任せきり。仕事ならば、部下や上司に仕事を任せきり。

自分で勝手に「ここまでやれば、自分はちゃんとやっている。」と線引きし、後の部分は他の人に押し付けてしまう。

⑤責任を取らない

③の延長とも言えますが、自分の責任の範疇で問題が起きても、「私はちゃんとやりました。」「自分はここまで頑張ったのだから、後はそちらで解決してください。」という態度で、責任を取ろうとしません。最後は他の人がどうにかしてくれると思っています。

仕事で自分のミスで大きな失敗しても「課長がフォローしてくれなかったからでしょう?」「(聞いているはずのことを)聞いていません。知りませんでした。」と他責。

子供から相談事をされても「そんなことは自分で考えなさい。」とスルーし、親として導かない。

子供が不登校になっても「お前(妻)がちゃんと子育てしていないからだ!」と他責。

ここで自分が責任を取って適切な行動をしなければ、後々問題が深刻化したり自分自身が不利になることが頭では理解しているにも関わらず、やらない。

彼らのこうした行動は、まるで「ふてくされた子供の心理」や「全てお母さんのせいにしてしまう子供の心理」を彷彿とさせ、「大人の判断」ができません。

⑥罪悪感が薄い

④の延長とも言えますが、自分の責任の範疇内で問題が起きてしまっても、成人期の人のそれと比べ、罪悪感が薄いです。「あぁ、なんてことをしてしまったんだ。自分のせいだ。」という「申し訳なさ」を感じません。

不登校がこじれて(子供というよりは自分が)困ってしまえば、スクールカウンセラーへの相談するという行動は起こしますが、「先生、どうすればいいんですか!もうお手上げなんです!」と丸投げ気味。

「私の子育てが厳しすぎたのでしょうか…」「娘の苦しみに気づいてあげられなかった…」など、成人期の親のような自責の言葉、反省の言葉が出てこない。反省が浅く表面的に謝っても、その後の行動が伴わない、子供染みた当て付けを行う。

⑦結婚相手よりも実家を優先する

実家は大事にしつつも、結婚したからには新しい家族に責任を持ち、大事にするという感覚が薄いです。結婚後も、配偶者の賛同なしに休日は頻繁に実家に行ったり、不必要なタイミングで、結婚後の家族よりも実家を優先してしまうことがあります。

嫁に相談もなく、家族行事に親を招く。嫁姑のトラブルで、姑に非があっても嫁の味方にならない。嫁の意見ではなく、親の意見を優先する。など

ACの友人関係は?

一方、友人関係についてはさほど問題は生じません。繰り返しになりますが、彼らの心は学童期なので、仲間同士楽しく付き合うことは、成人期よりも得意です。大人になってから新たにできる友人関係は、成人期だとどこか遠慮がちになってしまい子供の頃の様にすぐに仲良くなるという訳にはいかないと思いますが、彼らは「大人としての遠慮」が少なく、天真爛漫で闊達、おしゃべりが好きなため、すぐに打ち解けてしまったりもします。成人期は自虐ネタで盛り上がることが多くなりますが、ACの人たちは学童期の子供のようなストレートな「自慢話」を大人になっても行います。こうした特徴は、初対面では「面白い人だな。裏表のない感じのいい人だな。」と好印象を与えることもあるかもしれません。一方でママ友や会社の人たちとの付き合いなど、一定の遠慮が必要な関係においても、配慮なく積極的に距離を詰めてしまい、相手を動揺させてしまうことがあると思います。成人期のような時と場合に応じた柔軟な考え方ができず、一方通行な正論や一辺倒な「〇〇すべき」を主張して、相手を疲弊させてしまうこともあります。

また精神的に自立していないため、誰かと「つるむ」ことを好み、自慢話を羨ましがられたり、(親から受け継いだだけで本来自分のものではない)価値観を他人から共感されることで安心します。

人間関係のトラブルで耳にする「嫁姑問題で妻に味方しない夫」や「空気の読めないママ友」、「子供を不登校に追い込む親や教師」の裏にはACが隠れているケースはよくあります。相手が成人期だと思って接するのと、ACだと分かって接するのとでは、心の負担も違ってくるはずです。ACという名称云々よりも大事なのは「思春期を越えられなかった成人」の存在を知ることです。

次回以降はどんな人がACになりやすいのか、被虐者や境界知能・軽度知的障がいとはどのように違うのか、ACを脱却するために必要なことなどについて記載していこうと思います。

最後までブログをお読み頂き、本当にありがとうございます。もし少しでも参考になったと思っていただけた場合は、バナーをクリック頂けると、ブログ更新の励みになります。では、また次回の記事でお会いしましょう。

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