健全な育ちに必要なギフト③ 〇〇線

本シリーズ3弾目、最後の記事になります。

イヤイヤ期を遂げた後の子どもたちは間もなく小学校へと入学します。小学生らしく自由闊達に言いたいことを言い、人間関係を広げながら、学校という社会ルールを一層理解していきます。

最初のギフト「安心」をよりどころにしながら、子どもたちの心は暫くの間、安定します。

しかしそれから数年が経つと、子どもたちの心が、再び揺れ始めます。親子の試練「思春期」の到来です。そして健全な育ちのため、親から得られる3番目のギフト「境界線」を受けとる時がきました。

目次

境界線とは

親子関係における境界線とは、心理学では「バウンダリー」なんて呼ぶこともありますが、親子間であっても踏み込んではいけない心身の境界線を指します。境界線の内側は誰のものでもない、その子だけのものです。要するに「親子であっても、別の人間として尊重する。」ということです。

それは、親子でもお風呂は別に入るようになる、とか、子供に1人部屋を与える、とか、(友好関係を尊重して)門限を伸ばす・お小遣いの額を上げるといった、形から入る変化から始まります。

健全な心を持つ親御さんであれば、子どもがそれを望んだタイミングや、それを望む手前のタイミング(小学生高学年〜中学生)で自然と環境を整えていきます。

その必要性を十分理解しているからです。

心は親から離れようとする

形から入った親子の境界線は、子の思春期が本格的に始まると、親子の心にも境界線が形成され始めます。

学童期までの子どもたちは、自己主張はしつつも、基本的には親や先生たちの教えを忠実に守ります。一般的な教えであれば「それはおかしくない?」という疑いを持つこともあまりせず、「そういうものだ」と素直に受け入れます。

しかし思春期になると、心はその先へと向かいます。

「ママは偏差値の高い○○高校のことばかり言うけれど、自分にはサッカーの方が大事なんじゃないのか?」とか「お父さんはいつも私に厳しくて『女らしくしろ』って言うけど、本当にそれが正しいの?」とか「お金お金ってそればかりだけど。たくさん物を買い与えてくれたけど。お金より大切なものもあるんじゃないの?」とか、親の信じる価値観、そして自分も信じようとしてきた価値観を、疑うようになるのです。

仮に親の価値観が偏ったものでなくとも、「親の言うことに従うこと」自体に違和感を感じたりします。身体は学童期に親から離れますが、今度は心も親から離れようとするのです。

思春期で子が訴えたいこと

程度の差こそあれ、そうした疑念や違和感が芽生えた子供たちは次第に態度に表れるようになり、普通の親はその変化に気づくでしょう。子どもたちは、現実ではまだまだ未熟ではありますが、大人の入口に踏み入れようとしているのです。

「うるさいな。ママに言われなくても、自分でちゃんと色々考えてるんだ。」

「私はお父さんとは違った生き方をしたいの。」

「もう子供扱いしないで。もっと僕のことを信じて、放っておいてくれ。」

言葉に出さずとも、子どもたちはそのように訴えているようです。

こうした親への一種の反抗のようにも見えるその態度は、とても自然で健全なもの、本能的なものです。イヤイヤ期同様、子どもの心が成長している証です。イヤイヤ期よりも大仕事なので、成就にはより時間が必要です。

自身も健全に育つことができた親は、「ついに我が子にも思春期が始まったか…。少し前まであんなにママっ子だったのに…」と多少のさみしさを感じながらも、我が子の心の変化(成長)を尊重します。時に口論になることはあっても、子どもの意見に耳を傾け、最終的には「まだ未熟だけど、あの子なりに色々考えてるのね」と、自分と我が子の境界をしっかり引いてやることが出来るのです。子が大きくなるにつれて、親が子にしてやる事は少なくなっていきますが、境界線は親が子に与えてやれる、残り数少ない大切なギフトです。境界線を子にギフトできる親を持った子どもは幸運と言えるでしょう。

境界線を尊重され、思春期を成就した子どもたちは、親からの精神的な自立を果たします。それは学童期から成人期へと心理発達したことを意味します。更には、その後の経済的自立の土台にもなります。

思春期を成就できない子どもたち

イヤイヤ期さえ始まらない、幼い頃から虐待をされてきた子どもたちや、イヤイヤ期は通過できたけれども、その後に虐待が始まった子、また顕著な虐待はなくとも、子を心理的に支配しようとする親を持つ子どもたちは、思春期を成就することはできません。

また悪質性がえ顕著ではなくても、子の精神的な自立を認めてやることができない親、子離れができない親御さんも少なくありません。ですが、悪気がないことも実は厄介で、「きっとママは私のことを思って」と子は我慢を強めてしまいます。

親の価値観は次第に呪縛へと変わり、子どもを締め付けます。親の価値観に逆らう行為をすれば罪悪感に駆られたり、親の許可を得ないと不安になります。

いつまで経っても親離れ、子離れができず、成人した大人の自問自答による答えの導きではなく、「お母さんがそう言ったから」という中身のない答えしか言えなくなります。トラブルがあっても、自分自身の価値観で決めたことに発していないため、責任を取る術を知らず、逃げたり、親のせいにしたりします。

イヤイヤ期がなかった被虐児の心は以前乳児期のまま不安で押しつぶされそうになっています。学童期までは進んだ子の場合だと、思春期を成就できずに身体が大人になってしまう、いわゆるマザーコンプレックス、つまりはアダルトチルドレン(AC・成人学童期)になってしまいます。また学童期以降、親の再婚相手などから虐待されると、やはり思春期どころではなくなります。

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