児童虐待には4つの種類があると定義されており、内容は以下の通りです。
〜厚生労働省HPより~
これらは別々の虐待ですが、4つの虐待全てに共通する虐待で、隠れた虐待があります。
上記の中の「ネグレクト」が言うなれば「身体的ネグレクト」とするならば、その隠れた虐待とは「心理的ネグレクト」です。この概念は高橋和巳精神科医が提唱されたものです。
衣食住の世話はするけれど、子の気持ちに全く無関心なのが心理的ネグレクトです。
この心理的ネグレクトは、いずれの虐待の根底にあります。
心理的ネグレクトがある家庭では、たいてい他の虐待も併発していることが多いですが、心理的ネグレクト単体でも虐待として成立します。
つまり、暴力がなくても、暴言がなくても、性的虐待がなくても、身の回りの世話はされていても、「心理的ネグレクトがあれば、虐待」です。
暴言を代表とする心理的虐待との区別がつきづらいと思うので、
心理的ネグレクトが単体で起きている場合の例を出します。
・子に情緒的な声がけをしない。例えば、「美味しいね」、「お腹いっぱいになった?」、「今日の保育園はどうだった?」などと聞かない。
・手をつないでくれない、抱っこをせがんでも、追い払われる。子供が甘えたい気持ちに気づかない。
・大事なことを相談しても「ママには分からないわ。」と言われる。イジメを相談しても、「そうなの?」という言うだけ。子供の悩みに無関心。
・病気で寝込んでいても平気で買い物を頼んでくる。
・言ったことを言ってないと言ったり、頻繁に嘘をついたりする。
・泣いたり同情を買って要求を通そうとする。
・夫以外に彼氏がいることを思春期の娘に相談してくる。
・こどものお金を平気で使う。大事な物を勝手に捨てる。
・大事なもの、好きなもの、嫌いなものに気づけない。
など
心理的ネグレクト単体の場合、問題が表面化することがまずないので、周りに気づかれないし、本人も虐待だと気づきません。
他の虐待と併発している場合と比べてよほどマシのように捉えられてしまうかもしれませんが、しかしそれが一つあるだけで子供は大変な生きづらさを抱えることになります。
こどもは、
自分の嬉しいを、親も嬉しんでくれ
自分の悲しいを、親も悲しんでくれる
といった親子の共感的・情緒的なやりとりを継続して体験することで、心を強く、そして豊かに育ませていきます。
こどもは、本来一途に親を求め、親の関心を求める生き物です(ただし自閉症の場合はこの限りではない)。
よってこの心理的ネグレクトは、
「自分の言動で、子がどういう気持ちになるのかに関心がない。つまり、子どもに関心がない。」という極めて残酷な虐待だと知っておく必要があります。
心理的虐待の一番の弊害は、「自分の感覚に自信が持てない。自分の感覚なのに、自分が一番わかってない」状態になってしまうことです。「いいのか?悪いのか?好きなのか?嫌いなのか?辛いのか?辛くないのか?」自分の感情だから自信も何もないはずなのに、彼らはあらゆる感情や感覚に自信がありません。他の人の反応や評価を見てでしか、自分の状況をとらえることができなくなってしまいます。人の反応が怖くて、人に会うのも怖くなります。「周りを気にする」のは普通の人でも良くあることですが、「気にする度合い」が尋常ではないレベルになります。
これこそが、普通の親元で育った人が一番理解しにくい点、普通の人を驚かせたり、信じてもらえなかったり、イライラさせてしまう点です。
結果、心理的ネグレクトを受けていた子供は、人生に途方もない虚無感を持ったり、
「自分は生きている」、「自分は愛されている」という実感を持てなかったり、
かといって「親に酷いことをされた」という実感を持てなかったり(それゆえ治療開始も遅くなる)、
生きる意味、生きる喜びを感じないままに生きることを強いられます。
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