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生き延びた幼少期 ー浩一さんの場合ー

浩一さんは、中学一年生。3歳の頃、自宅で衰弱しているのが見つかり一時保護され、児童養護施設へ行った。幸いにも半年で特別養子縁組先が見つかり、新たな家族を持った。

浩一さんの実親は共働きで、父はタクシー会社で、母は工場で働いていた。無断欠勤もなく、勤務態度は真面目な2人だったという。浩一さんは保育園や幼稚園に通っていなかったが、朝ごはんは両親と一緒に食べ、両親が家を出る前は、浩一さんの昼食と夕食用のおにぎりやパン、お菓子などを毎日置いてから仕事に向かっていた。

両親は帰宅すると、チラシをクシャクシャにして浩一さんを楽しませたし、浩一さんと川の字で一緒に寝ていた。

ある日、給付金として30万円が親子に支給された。毎晩決して高くない給与で遅くまで働く両親にとって、大金だった。

2人は一部を引き出し、駅前のビジネスホテルへ一泊宿泊した。浩一さんにはスーパーのお弁当やバナナを用意して、連れて行かなかった。

帰宅すると浩一さんは待ちに待った両親が帰ってきたことに喜んだ。

両親は1日また仕事に戻ったが、翌日は同じホテルに2泊した。

3泊しても、浩一さんは帰宅した両親を喜び、用意された食べ物も少しだけ残っていたので、今度は1週間宿泊した。勿論食料は置いていったが、子どもの7日分の食事量がよく分からなかった。

元々物やゴミで溢れていた家の中だったが、この2週間で異臭を増して近所から大家への連絡があった。

大家が家を訪問すると、郵便受けが溢れていたので鍵を開け、ゴミの中で倒れている浩一さんが発見された。

両親は逮捕された。「家に帰りたくない気持ちがあった。3才だからもう大丈夫だと思った。」と供述した。

浩一さんは脱水症状、食中毒になっておりあと1日遅ければ命も危うい状態とのことだった。

また両親と過ごす時間以外は人と接する機会がなかった浩一さんは、3歳にして殆ど話せる単語が4,5つしかなかったという。

施設を経て養親のもと暮らすようになり、1年経つ頃には同年齢の子と変わらず話せるようになった。

中学生になった浩一さんは「パパとママは一生懸命やってたと思う。」と当時のことを振り返っている。

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