虐待をする親──と聞いたとき、多くの支援者はまず「どんな虐待をしているか」に注目する。身体的虐待なのか、ネグレクトなのか、心理的虐待なのか。しかし支援の現場で本当に問われるのは、もう一つ別の問いである。
「この親は、正常知能の親か? そうではないのか?」
この見極めが、支援の方向性を根本から変える。ところが現場では、この判定が驚くほど曖昧なまま進められていることが多い。虐待臨床に特化した専門講習で蓄積された臨床知見は、この問いに対して明確な判定手順を示している。本稿では、「知的に問題のない親」と「知的な問題を抱える親」という二つの立ち位置の違いを、傾聴場面(相談内容を口を挟まないで聴き取る場面)で実際にどう見分けるのかを整理する。
なぜ「正常知能か否か」が最初の問いなのか
児童相談所の虐待事例を分析すると、7割以上が知的な問題を抱える親(「軽度」知的能力障害 あるいは 境界知能領域)で構成されている。つまり、虐待問題に関わる以上、目の前の親が知的に問題がないのか、あるいは「軽度」知的能力障害や境界知能に該当するのかを見立てることは、避けて通れない最初のステップということになる。
にもかかわらず、現場ではこの判定が後回しにされがちだ。理由は単純で、「軽度」知的能力障害や境界知能──とりわけIQ70〜80あたりの人は、外見上も会話の表面上も「普通の大人」に見えるからである。ここにこそ、見極めの難しさと、同時にその重要性がある。
「知的に問題のない親」の姿──見立ての基準線
まず、正常な知的能力を持つ親がどのような振る舞いをするかを押さえておく必要がある。これが見立ての「基準線」だ。知的に問題のない親には、傾聴場面で次のような特徴が観察される。
来談行動:問題を自分のこととして自覚し、解決への責任と意志を持って、自発的に相談に来る。相談先も自分で調べて検討している。
陳述の仕方:質問に沿った返答を返す。時系列が整理されている。他者の心理を推測する発言がある。自責の念が語られる。
倫理規範:社会のルールを理解し、それに従いながら生きている。子育ての責任を自分の問題として引き受けている。
たとえば不登校の息子について相談に来た正常知能の母親は、こう語る。「私があまり厳しく言うので、息子の話を聞かなかった。私の育て方が悪かった」──ここには問題の所在を自覚し、自分自身を振り返り、葛藤を抱える力がある。この姿を「基準線」として頭に置いたうえで、以下の特性をチェックしていく。
特性チェックの大前提──口を挟まない傾聴
本稿で紹介する特性チェックは、口を挟まない傾聴によってのみ正確にわかる。ここで言う「傾聴」とは、こちらの意見や解釈を一切挟まず、相手が言いたいことを好きなように、好きなだけ話させることである。
支援者がやるべきことは、ごく限られた質問だけだ。「何があったのですか?」「どうして相談に来られたのですか?」──こうしたオープンクエスチョンで話の入口を開き、あとはひたすら聴く。
やってはいけないのは、途中で「それは違うんじゃないですか?」と意見を挟んだり、「つまり、こういうことですか?」と要約して確認したりすることだ。なぜなら、知的に問題がある親は、よくわかっていなくても「はい、そうです」と同調してしまうことがあるからだ。支援者が投げた言葉に乗ってしまい、本来の陳述がそこで途切れる。
逆に、口を挟まずにいると、相手は自分のペースで話し始める。すると話の組み立て方、時系列の整理具合、他者への配慮の有無、被害感の出方──こうした特性が、何も誘導しなくても自然に表面に浮かんでくる。特性は「引き出す」ものではない。相手が自由に話す中で「にじみ出てくる」ものである。
この前提を踏まえたうえで、傾聴の中で浮かび上がってくる境界知能の特性を見ていく。
境界知能(IQ70〜85)の親に見られる特性
虐待事例で最も見落とされやすいのが、IQ70〜85の「境界知能」にある親である。日常会話も表面上は成り立つため、「普通の大人」に見える。しかしこの「普通に見える」ことこそが、支援現場で最大の落とし穴になっている。
① 会話が一方通行
境界知能の親は、口数が多く、積極的に話す人も少なくない。自信たっぷりに見えることすらある。しかし、じっくり聴いていると、会話が一方通行であることに気づく。相手の反応を見て話題を調整する、相手の発言を受けて自分の意見を修正する──こうした「双方向のやりとり」が成立していない。
たとえば、支援者が「お子さんはどう感じていると思いますか?」と尋ねても、「私はちゃんとやっています」と自分の話に戻ってしまう。相手の質問の意図をくみ取れないのだ。自己主張は強いが、その内容は一方的で、結局のところ「自分が言いたいことを言っているだけ」の状態になっている。初対面では「しっかりした人」に見えるが、15分も聴いていれば、相互理解が成り立っていないことが見えてくる。
② 「自分のどこが悪いのか」がわからない
傾聴を続けていて最も印象的なのが、「自分の問題」として語らないことだ。正常知能の親であれば、「私の言い方がきつかったのかもしれない」「仕事のストレスを子どもにぶつけていた」といった自己振り返りの発言が自然に出てくる。しかし境界知能の親からは、こうした発言がほぼ出てこない。
たとえば、子どもに繰り返し手を上げていた母親に「どうしてそうなったと思いますか?」と聞くと、「子どもが言うことを聞かないから」「学校がちゃんとしてくれないから」と、原因は常に自分の外にある。支援者が内省を促そうとしても、「怒られた」という感覚だけが残り、問題はさらにこじれていく。ただし、自分の訴えが通ると翌日にはケロッとしている。つい先日のトラブルがまるでなかったかのように忘れてしまう。
③ 通らない要求が「被害」に変わる
自分の要求が通らないとき、境界知能の親は「自分は不当な扱いを受けている」という被害感を募らせる。自己主張が強いタイプでは、学校や行政の窓口で声を荒らげるクレーマーになることが多い。
たとえば、保育園の送迎時間を守れないことを注意された親が、「あの先生は私のことが嫌いだから、意地悪なことを言ってくる」と訴えてくる。ルール違反を指摘されたという事実が、いつの間にか「自分が攻撃された」という物語にすり替わっている。一方、自己主張が弱いタイプでは、同じ被害感を内に溜め込み、「自分はいつも苛められている」とひっそり訴える。表現は対照的だが、被害者意識が異常に強いという本質は同じである。
④ 些細なきっかけで感情が爆発する
境界知能の親は、欲求不満やストレスへの耐性が低い。内的な規範が十分に形成されていないため、負荷がかかると感情の制御が利かなくなり、行動化しやすい。
たとえば、面談中に「前回お話しした件はどうなりましたか?」という程度の質問で、急に表情が変わり、「どうして何度も同じことを聞くんですか!」と声を荒らげることがある。普通の人にとっては当たり前の確認が、本人にとっては「きつく叱責された」「反省を求められた」と感じられる。この感情の爆発が家庭では「しつけ」と称して子どもに向かう。攻撃の矛先は、自分より弱い存在に向かうのが常である。
⑤ 話すたびに内容が変わる──その場しのぎの嘘
境界知能の親と複数回面談すると、「前回と話が違う」という場面に繰り返し遭遇する。言い訳のためにその場しのぎの嘘をつき、次回にはまた別の話をする。支援者は「嘘をついている」と感じるが、本人には悪意があるわけではない。
これは幼稚園児がその場かぎりの嘘をつくのと構造的に同じである。「昨日は具合が悪くて行けませんでした」と言った翌週に「あの日は友達と出かけていました」と平然と語る。社会的領域の発達が幼児レベルにとどまっているために、過去の発言との一貫性を保つという概念がそもそも薄い。しかし、身体や社会的立場は大人であるため、周囲は「なぜ平気で嘘をつけるのか」と混乱する。
⑥ 「たとえ話」や「先の見通し」が通じない
傾聴の中で、会話の内容に自分や相手の心理的な描写がほとんど出てこないことに気づくことがある。「子どもがどう感じているか」「相手がなぜ怒ったのか」──こうした心の動きを言葉にする力が不足している。
支援者が「将来を見据えて、少しずつ生活を整えていきましょう」「お子さんの立場に立って考えてみてください」と伝えても、まったく入っていかない。比喩的な表現を文字通りに受け取ったり、「そうですね」と返事はするが行動に反映されなかったりする。計画を立てる、優先順位をつける、因果関係を見通すといった思考に弱さがあり、助言が助言として機能しない。
⑦ 精神科の病名に振り回されていないか
境界知能の親には、境界性人格障害、双極性障害、パニック障害など、さまざまな病名がつけられていることがある。しかしこれらの「症状」の多くは、知的能力の問題から来る不適応行動や、環境ストレスへの反応性症状であり、原疾患としての精神疾患ではない。
たとえば、窓口で激しく怒鳴り散らしたことで「境界性人格障害」と診断されていたり、気分の波が激しいことから「双極性障害」と診断されていたりする。しかし傾聴してみると、その行動はすべて「自分の要求が通らなかった」場面で起きており、一見人格の問題に見えるようなことも、実は知的機能の問題からくる困難だとわかる。病名を鵜呑みにすると、支援の方向性を根本から誤ることになる。


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