「10年通ったカウンセリングが、なぜ効かなかったのか」幸恵さんの場合|「物分かりの良さ」が回復を妨げるとき

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幸恵さん(仮名・40代)が初めてカウンセリングに踏み出したのは、32歳のときだった。

「やっと来られた」という安堵があった。長年抱えてきた、説明のつかない生きづらさ。感情が湧き上がるたびに、自分でもわからないうちに消えていく感覚。それをようやく誰かに話せる場所を得た、と思っていた。

しかし10年後、彼女はこう振り返る。「あの10年間、何かがずっとずれていた気がする」

目次

第1章 カウンセリングに通い続けながら、回復しない日々

幸恵さんの子ども時代は、言葉にならない静けさの中にあった。怒鳴り声があったわけでも、体を傷つけられたわけでもない。母親は常に「忙しそう」で、幸恵さんが何かを感じても、母の目はいつも別の方向を向いていた。話しかけると「うん、うん」と言葉では返ってくるが、何かが通じた感覚は一度もなかった。

「自分の気持ちを言葉にしようとすると、消えてなくなった」と幸恵さんは言う。「頭の中では確かにあるのに、口を開こうとすると霧になる感じ」

そのまま大人になり、会社に就職し、結婚もした。傍目には問題のない生活を送りながら、彼女の内側にはずっと、自分がいない感覚があった。

カウンセリングに通い始めてからも、表面は「良い変化」があった。自分の生育歴を言語化できるようになった。母親のことを整理して話せるようになった。でも、何かがどうしても変わらない。2人目、3人目とカウンセラーを変えながらも、10年間、その「何か」の正体が分からなかった。

第2章 「物分かりが良い人」だと思われていた

ある日、3人目のカウンセラーにこう言われた。「幸恵さんは本当に受容力がある方ですね」

その言葉を聞いた瞬間、幸恵さんは「ありがとうございます」と微笑んだ。カウンセリングが終わり、車の中に戻ったとき、理由もわからないまま涙が止まらなくなった。

「あのとき、褒められた気がしなかった。でも何が嫌なのかも分からなかった」

後になって、幸恵さんはその違和感の正体に気づいた。「受容力がある」は、自分のことを指している言葉ではなかった。それは、カウンセラーにとって「話しやすい、扱いやすいクライアント」であることの別の言い方だった。

幸恵さんには、相手の状態を瞬時に読み取り、その場に合わせて心を変形させる能力があった。子ども時代、感情を示すことで母親が不機嫌になることを繰り返した結果、幸恵さんの心は「相手が何を望むか」を感知して、瞬時に応じる回路を発達させていった。

カウンセリングの場でも、それが働いていた。「カウンセラーが何を求めているか」を敏感に読み取り、求められているような回答、求められているような反応を、無意識に返していた。本当に辛い部分が喉まで上がってきても、相手が受け取れるかどうかを先に判断して、言葉を飲み込んでいた。

これが「迎合体質(物分かりが良いようにふるまうこと)」と呼ばれるものだ。

第3章 「分かりました」が出た数時間後に起きること

迎合体質の恐ろしさは、本人が「迎合している」と気づけない点にある。

幸恵さんは、カウンセリング中に「嫌だ」と感じても、その感情が表面に上がる前に変換されていた。不快感は「まあ、そういう考え方もある」に、悲しさは「この人なりに気にかけてくれている」に、怒りは「自分の受け取り方の問題だろう」に。

これは意図的な抑圧ではない。反射だ。親への適応として幼少期に鍛え上げられた、生存のためのパターンが、全く別の場面で自動作動しているだけだ。

だからカウンセリング中、幸恵さんは普通に話せていた。笑うべきところで笑い、頷くべきところで頷き、「そうですね」「分かりました」と言葉が出た。

しかし数時間後、それが崩れた。堰を切ったように泣けてくる。喉の奥に溜まっていた、言えなかった言葉が、言えないまま体の外に出ようとするかのように。

「あの感覚が一番辛かった」と幸恵さんは言う。「カウンセリングが終わって、帰り道で発狂するように泣く。でも何がそんなに嫌だったかが分からない。次の回にはもう収まってて、また普通に話す。それを10年繰り返した」

迎合体質が支配するカウンセリングでは、表面は「うまくいっている」ように見える。深まっていないのにクライアントに不満もない。カウンセラーも「この人は順調だ」と感じる。しかし実際に吐き出されるべき辛さは、何年経っても心の中に積み上がり続ける。

第4章 「毎週来てもいいですか」と初めて言えた日

転機が来たのは、4人目のカウンセラーとの関係が始まってからだった。

新しいカウンセラーは、幸恵さんが何を言っても口を挟まなかった。母親のことを話しても、「でも、お母さんにも事情があったんでしょうね」と言わなかった。「あなたにも良いところがありますよ」と励まさなかった。ただ静かに、話した内容と同じ重さで、聴いていた。

しばらく経って、幸恵さんは初めて「毎週来てもいいですか」と聞いた。長年のカウンセリングで、そんなことを言ったことは一度もなかった。

カウンセラーは「ごめんね、うちのルールで最低でも2週間は空けることになっているの。自分で考える時間が必要だから」と答えた。

幸恵さんは「そうですか、分かりました」と笑顔で言いかけた。でも今度は、続きの言葉が出てきた。

「それは仕方ないとして、毎週来たい気持ちを話してもいいですか」

そのとき、幸恵さんは自分でも気づいていなかった何かが変わったことを感じた。「断られたのに、全部否定された気がしなかった。前だったら、そこで終わってた。言葉が出なくなってた」

第5章 注文の多いクライアントになるということ

その日のカウンセリングが終わったあと、幸恵さんはぽつりとこう言った。「今日、なんか会話した気がします」

カウンセラーが「そうね」と静かに頷いた。

帰り道、幸恵さんはしばらくしてから、その言葉の意味が分かった。断られても続きが言えた。意見を言い合った。これが「会話」だ。

「今まで私は、相手が言ったことを受け取るだけだったんだと思います。言われたら頷く、求められたら返す。自分の気持ちを出すって、どういうことか、分かってなかった」

迎合体質が深い場合、「自分の気持ちを相手に伝える」という欲求そのものが発達していない。感情は体の中で生まれるが、それを言語化して相手に届けるという回路が、子ども時代にほとんど使われてこなかった。

「言いたいことが言える」は、多くの人にとっては当然の能力に見える。しかし幸恵さんにとって、それは10年以上かけてやっと向かい始めた場所だった。

「注文が多いクライアントになったって、カウンセリングのあとで思いました」と幸恵さんは笑う。「でも、注文ができるって、健全になってきたってことなんだって気づいた。被虐待者がカウンセラーに注文をするって、そういうことだったんだって」

解説:被虐待者のカウンセリングで「迎合」が見えにくい理由

幸恵さんのケースが示しているのは、被虐待者の「物分かりの良さ」が、治療の進展を阻む構造的で悲しい障壁になりうるということだ。

心理的ネグレクトを受けた子どもは、母親との感情の共有を否定されることで、「気持ちを分かってもらえること」への期待を放棄した代わりに、相手の状態を先読みして心を合わせる適応を発達させる。 これは「甘え(子が母に対して自然に持つ甘えたい、という気持ちであり、否定的な意味合いではない。)」の否認と密接に結びついており、感情を抑圧してきたすべての被虐待者に程度の差はあれ存在する。

カウンセリング場面でこのパターンが発動すると──カウンセラーから見て「受容力がある」「協調的」「問題なく進んでいる」と映る。しかし実際には、本当に吐き出す必要のある辛さが毎回飲み込まれている。結果として、表面的な改善はあっても、核心部分の受容体験が積み重なっていかない。

これを防ぐためには、カウンセラー側がクライアントの言葉に口を挟まず、ただ黙って聴き遂げることが求められる。クライアントが「ここでは仮面をかぶらなくていい。何を話してもいい。」と安心できる環境をカウンセラー側が提供できることが必要である。

「ただ黙って聴く。」   それだけのことが、10年間の「ずれ」の軌道修正を後押しした。しかしそれができるカウンセラーは決して多くない。

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