被虐ママとは何か──虐待を受けて育った母親が子育てで抱える葛藤と、支援者の見極め方

「被虐ママ」とは、子どもの頃に虐待や不適切な養育を受けて育ち、今は自分自身が母親として子育てに向き合っている女性のことを指す。

このブログでは彼女たちを「被虐ママ」と呼ぶが、それは否定的なラベルではない。虐待を受けて育ったという背景が、母親としての現在にどのような影響を及ぼしているかを、支援の現場から見ていくための言葉だ。

被虐ママは「虐待する親になる」わけではない。研究が示すように、被虐経験を持つ母親の圧倒的多数は、自分の子どもに同じことを繰り返さない。むしろ、子どもを傷つけることを誰よりも恐れている。ただ、子育ての中で静かに積み重なる葛藤がある。その葛藤の正体と、支援者がどう見立てるかを、この記事で整理する。

自分が経験しなかったもの、受け取れなかったものを子どもが当然のように受け取っている

──この事実が、被虐ママに複雑な感情を引き起こすことがある。子どもが無邪気に甘えてくるとき、安心して眠れる子どもを見ているとき、自分の幼少期との落差が浮かび上がり、うまく言葉にならない感情が動く。

これは子どもへの悪意ではなく、自分が持てなかったものへの悲しみが、羨ましさのようなものが形を変えたものだ。

「親になれば、親の大変さが分かる」とよく言われる。

なってみれば、確かに大変だと分かる。眠れない夜、思い通りにならない育児、果てしない消耗。

しかし同時に、ある問いが浮かぶ。「それでも、なぜあの親は私にあんなことができたのか」。子育ての大変さを知るほど、自分がされたことの意味が、ますます分からなくなっていく。

愛するとはどういうことか、子どもに何をしてあげるべきかを、我が子を通じて初めて知る。そのたびに、自分には与えられなかったものの輪郭が、より鮮明になっていく。

子どもの頃、家庭の外で誰かにやさしくしてもらったことがあった。

近所の大人、友人の親、担任の先生──家の中で自分が冷遇されていることに気づいたのか、あるいは不憫に思ったのか、ごく自然に親切にしてくれた。

その温かさに、嬉しい気持ちが湧いた。でも帰ると、親にいつも台無しにされてきた。

──そういう記憶が、今ここで重なってくることがある。

友人が親に喜ばれる場面、温かな親子のやりとり。あるいは、安心して笑っている我が子の顔。そういうものに触れるたびに、心のどこかで何かが締まる感覚がある。

喜ばしいと思う。しかしその喜びの奥に、かつての自分にはそれがなかったという事実が、言葉にならないまま沈んでいる。

 

目次

子どもを傷つけるより、自分を傷つける

被虐ママが虐待の連鎖を起こすケースは、一般に思われているよりずっと少ない。

それよりも多いのは、自分自身を傷つける方向へ向かうことだ。

過食・拒食・自傷・アルコール・関係への依存──これらは外側からは「別の問題」に見えるが、根にある構造は同じだ。

怒りや痛みを外へ出せず、自分の内側へ向けるしかない状態が続いている。

子どもから心の繋がりを求められると、固まる

子どもが「抱っこ」「一緒にいて」と求めてくる場面で、体が固まる感覚を覚える被虐ママがいる。

子どもからの親子の心の繋がりの要求に、どう応じていいか分からないのだ。自分が幼い頃にその繋がりを十分に受け取れていないため、繋がりを「受け渡す」側の立ち位置が体験として育っていない。

なぜこうなるのか。

被虐ママは長い年月をかけて、人から愛情を受け取ることを「諦める」生き方を身につけてきた。愛情を期待すれば傷つく。だから期待しない。感じない。その生き方は、痛みから自分を守るために必要だった防御だ。

子どもが心の繋がりを求めてきたとき、その感情は理解できる。

子どもの気持ちは分かる。しかしそれに応えようとした瞬間、長年かけて築いてきたその防御が壊れそうになる。

自分が守ってきた厳しい生き方が、否定されるような恐怖が生じる。だから体が固まり、子どもとの心の繋がりをあえて避けようとする。

この回避が続くと、子どもにきつく当たったり、関わりを極端に減らしたりする行動につながることがある。

心理的虐待に近い状態が生まれることもある。しかしそれは、子どもを傷つけたいからではない。自分の中の防御が、子どもの愛情を受け取ることを怖がっているからだ。

罪悪感と、自ら訴える力

被虐ママには、一つの際立った特徴がある。

「子どもを虐待してしまうかもしれない」「先日、きつく当たってしまった」と、支援者に自ら語る力を持っていることが多い。

子どもとの緊張関係を自覚しており、自分の行動への問題意識がある。これは重要なサインだ。この自覚は、支援が届く回路がある証でもある。

同時に、その自覚は被虐ママを慢性的な罪悪感の中に置く。

常に「自分は良い母親ではない」という感覚が続き、子どもに接するたびに「また傷つけてしまうかもしれない」という予防意識が働く。

子どもに何かしてあげても「これで良かったのか」という疑念が消えない。愛情がないのではない。愛情の形が分からないまま、精一杯関わろうとしている状態だ。

母性を安定して維持することの難しさも、多くの被虐ママが語る。

「子どもを愛したい気持ちはある。でも、どうすれば良いか分からない。疲れてしまうと、何も感じなくなるときがある」──この言葉の奥にあるものを、支援者は見落としてはいけない。

支援者が被虐ママに気づくために

被虐ママの多くは、自分が虐待を受けて育ったことを明確に自覚していない状態で支援の場に現れる。

「育児が不安」「子どもとうまく関われない」という訴えが入り口になることが多く、その背景に被虐体験があることはすぐには見えてこない。

見立てのポイントは、傾聴の場面での観察だ。被虐ママに特有の語り方として、次のことに注意する。

無料会員登録して、続きを読む
よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

目次
閉じる