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「ケーキの切れない非行少年たち」という本がある。児童精神科医の宮口幸治氏が書いたこの本は、非行少年たちの多くが、丸いケーキを三等分に切るという単純な課題すらできないという事実を伝えている。認知機能の弱さが、社会適応の困難につながっているという指摘だった。
この話は、非行少年だけの問題ではない。子育ての現場にも、同じ構造がある。
「ケーキが等分に切れない」ということ
ケーキを三等分に切る。大人にとっては何でもない作業に見える。しかし、この課題をこなすには、円を頭の中で三つに分割するイメージ力、ナイフを入れる位置を計算する力、等分という概念の理解——いくつもの認知機能が必要になる。
この「見えない認知の力」が弱い人たちがいる。知的障がいと診断されるほどではない。日常会話もできるし、仕事にも就いている。見た目では分からない。けれど、計画を立てる、段取りを組む、先の見通しを持つ、相手の気持ちを想像する——こうした「頭の中で組み立てる作業」が極端に苦手なのだ。
これを「境界知能」と呼ぶことがある。IQでいえば70〜84あたり。障がい者手帳の対象にはならないが、社会生活のあちこちで躓く。人口の約14%がこの範囲に該当するとされている。
妊婦検診に行けない母親、禁煙できない母親
子育て支援の現場には、不思議な母親たちがいる。妊婦検診に行かない。乳幼児健診の案内が届いても行かない。禁煙した方がいいと分かっていても、やめられない。子どもの予防接種のスケジュールが管理できない。
周囲はこれを「怠慢」や「無責任」と見る。ネグレクトだと断じることもある。確かに結果として、子どもに必要なケアが届いていないのだから、その判断は間違いではない。
しかし、その母親の内側に目を向けると、別の景色が見えてくる。
検診の案内を読んでも、日時と場所と持ち物を同時に把握できない。予防接種の種類と間隔を一覧表で見ても、どれを次に打てばいいのか分からない。禁煙が体に悪いと「知識」はあっても、それが「今この一本を吸わないこと」と結びつかない。
児童虐待に関する複数の専門研修で学んだことのひとつに、こうした親の多くは軽度の知的能力障害や境界知能の範囲にあるという指摘がある。知的障がいと診断されるほどではないために、周囲からは「普通の大人」として扱われる。そして、「普通の大人」としての責任を求められる。応えられないとき、「だらしない親」というレッテルが貼られる。
「悪意」ではなく「能力」の問題
虐待には、いくつかの異なる構造がある。怒りを制御できずに手を上げてしまう親。支配と管理で子どもを縛る親。そして、必要なケアを提供する能力そのものが不足している親。
三番目の親たちは、子どもを傷つけようという意思を持っていないことが多い。むしろ、自分なりに一生懸命やっている。しかし、「一生懸命」の中身が、子どもの発達に必要な水準に届かない。
たとえば、子どもが泣いている理由を推測する力が弱い。「お腹が空いているのか、眠いのか、おむつが濡れているのか」という三つの可能性を頭の中で同時に検討し、順に試すという作業が難しい。結果として、泣いている子どもの前で途方に暮れる。あるいは、「うるさい」という自分の感情だけが残り、怒鳴ってしまう。
この構造を見抜けないまま、「あの親はひどい」「子どもがかわいそう」という感情だけで対応すると、問題は解決しない。叱責しても、指導しても、その親の認知機能が変わるわけではないからだ。
見えない困難を抱えた親たち
境界知能の親が抱える困難は、外からは見えにくい。会話は成り立つ。笑顔もある。「ちゃんとした人」に見えることさえある。しかし、生活の細部——書類を期限内に提出する、毎日同じ時間に食事を用意する、子どもの体調の変化に気づく——こうした「当たり前」のことが、綱渡りのように危うい。
そして多くの場合、この困難は本人にも自覚がない。周囲ができていることが自分にはできないという事実に、漠然とした不安を感じてはいても、それが認知機能の問題だとは思っていない。「自分が怠けているから」「頑張りが足りないから」と、自分を責めていることも少なくない。
子育て支援の現場で大切なのは、「この親は怠慢だ」と断じる前に、「この親にはどんな力があり、どんな力が足りないのか」を見極めることだろう。ケーキを三等分に切れない少年がいるように、子育てに必要な段取りを組めない母親がいる。それは「悪」ではなく、「特性」なのだ。
必要なのは、非難ではなく、その特性に合った支援の形を考えることだと思う。




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