親から酷い仕打ちを受けて育った子どもの多くは、大人になってもある「呪い」を抱えています。
「親があんなことをしたのは、きっと私が悪い子だったからだ」「私に愛される価値がなかったから、親を怒らせてしまったのだ」——そう信じて疑わないまま大人になった人もいるでしょう。
周りからも「お前も親になればわかる」「大人になれば親の気持ちがわかるよ」と言われ、さらに口を閉ざしてしまった経験があるかもしれません。
しかし、大人になり、社会を知り、自分が親になったとき、拭いきれない違和感が湧き上がってくるはずです。
「いくら余裕がなくても、我が子にあそこまで残酷になれるものだろうか?」「なぜ、子どもが泣き叫んでいるのを見て平然としていられたのか?」
世の中のカウンセリングや育児書は「親御さんも未熟だったのでしょう」「愛情が空回りしてしまったのかもしれない」と、情緒的な言葉で答えようとします。しかしその言葉に、あなたは救われるどころか、どこか突き放されたような虚しさを感じてきたかもしれません。
あなたのその違和感は正しいのです。「余裕がない」だけでは虐待という一線は越えられませんし、「未熟だった」という言葉はあまりにもぼんやりとしています。
この記事では、優しい気休めや精神論を脇に置き、「機能」と「仕組み」という視点から、普通の親が虐待しない理由を解剖していきます。
第1章 普通の親が持つ「痛みのセンサー」
まず「普通の親」の定義をはっきりさせましょう。ここでいう普通の親とは、聖人君子のような人格者ではありません。仕事で疲れればイライラし、理不尽に子どもを怒鳴り、時には大人げない態度をとってしまう——そんなどこにでもいる親のことです。
普通の親でも「いっそ頬を引っ叩いてやりたい」という衝動に駆られる瞬間は無数にあります。実際にカッとなって手が出てしまうことも珍しくありません。
しかし普通の親の場合、それが日常的に継続したり、子どもの心身を破壊する「虐待」にエスカレートすることはありません。必ずどこかでブレーキがかかります。
それは道徳心が高いからではありません。もっと原始的で抗いようのない「虐待を実行不可能にする生理的な仕組み」が脳に備わっているからです。


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