被虐者は、「何も感じないように」生きていることが多いです。
喜怒哀楽の表現が著しく乏しかったり、
見かけはそれが表現されていても実際はそのように振舞っているだけで、本心は何も感じていないといったことが、
虐待を受けて育った人によく見られる特徴です。
喜怒哀楽を出さず、不平不満も言わない彼らは、普通の人から見てどこか淡くニュートラルでロボットのような存在にも見えます。
今日は彼らが感情を抑圧して生きなければいけなかったいくつかの理由について書いていこうと思います。
理由①「感情や感覚を育ててもらえなかったから」
人間の赤ちゃんは、親に「感情・感覚にはそれぞれ名前があること」を教えてもらいます。
身体が冷えている⇒「寒いね」
口寂しい、お腹が鳴る⇒「お腹空いたね」
おむつが汚れて湿っている⇒「気持ち悪いね」
大きな音がして心臓がバクバクした⇒「びっくりしたね」
など、まだ自分では言い表せない感情に、お母さんが名前を付けてくれます。
最初の例でいえば、
身体の冷えた感覚は、「寒い」という名前がついていて、お母さんも理解してくれて、
そしてお母さんに毛布を掛けてもらって、温かく気持ちよくなる。
これを親に教えてもらった子は、冬の凍てつく朝に「お母さん、今日は寒いね。セーターを出しておいて。」と言えるようになります。
一方、親から感情の名づけ(感情の共感)を全くされない子はこのようにはなりません。
自分の感じる感情や感覚が曖昧で、自信がありません。
これは寒いのか、これくらい寒い内には入らず我慢すべきなのか。
普通の感覚なのか、普通じゃない感覚なのか、分かりません。
赤ちゃんの頃に「寒い」「痛い」「お腹空いた」「気持ちいい」といったような基礎的な感情・感覚が育たないと、「面白い」、「人を喜ばせたい」、「感動する」といった、より高次の次元にある感情もやはり育っていきません。
普通の親元で育った人にとっては、なかなか想像しづらいことですが
誰からも共感してもらえずに感情が育っていかないと、感情を抱いている本人でさえ、その感情を把握して、受容することができません。
感情や感覚がいつもモヤモヤして、曖昧で、抱いていることに本人さえ気づかず、自己理解ができずに、心は不安でいっぱいです。
そして、その不安を隠すように、人にバレないように、「みんなと同じようなリアクション」をまねて取ることもあります。ばれてしまえば、「いよいよ社会からも見放される」といったような恐怖があるからです。
理由②「裏切られるから」
「楽しみ」とか「期待」といったポジティブな感情は、ほぼ間違いなく裏切られます。
「お前も連れて行ってもらえると思っているんだろう!」
「お前、これが欲しいと思っているんだろう!」
「こんなくだらないモノで喜ぶと思ったのか!褒められると思ったのか!」
期待しては裏切られて絶望するという体験を、幾度となく繰り返し思い知ることで、「期待」は「あるまじき感情」として学習されます。
一般的に「楽しい出来事」が将来に控えていても、①に書いた理由で、そもそも「楽しい」とはどういうことなのか分かっていない場合もあります。
決して未来に希望を抱かず、油断せず、最悪のシナリオを描いておくことで、いざその通りになっても、落胆したり絶望せずに済む。守ってくれるはずの親に傷つけられる以上、被虐者は「期待という感情を抱かない事」が自分の心を守る術なのです。
理由③「【親への反逆】とみなされてしまうから」
「悲しい」とか「いやだ」とか「辛い」という感情を顔に出せば、虐待親にははぜかそれが「親への反逆」として映ってしまいます。
「なんだその態度は!」「わざとやっているんだろう!」
「親に恥をかかせるのか!」
「そのくらい痛いわけないだろう!」
と余計痛い目に遭う危険性が高まります。酷いことが起きても、嫌な顔一つしないように我慢する方が安全なので、「痛い」という感覚をなるべく感じないように、自分を守る術を身につけていくのです。
理由④「解離」
酷い虐待を受けると、人はその虐待を自分の代わりに受けてくれる「もう一人の自分」を作り出すことがあります。それを離人症とか、解離するとか言ったりしますが、
通常解離している最中はあらゆる感情・感覚がシャットダウンしたり、記憶が曖昧になったり、記憶に蓋がされたりします。解離の最中を、普通の人が見ると、急に人が変わったように見えたり、「もぬけの殻」のように見えたりします。
(解離については、いずれ別記事を作成しますので少しお待ちください。)
被虐者にとっての感情は、苦しい人生をさらに苦しくさせる厄介者、生きるのに邪魔なものです。虐待家では、感情は育たないし、感情を持っても百害あって一利なし、なのです。幼少期には芽生えていた感情も、すぐに死んでいってしまうでしょう。
酷いことばかりが起きる日々を、なるべく何も感じないように、なるべく心に留めないようにすることが、彼らが生き延びるためにできる精一杯のことでしょう。
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