連鎖への恐怖

「子供の頃に虐待を受けていた人は、大人になって我が子にも虐待することが多いのでは?」という考えが世間に根強くあります。これは虐待に縁のなかった普通の人々にとっては、単なる噂程度にしか捉えていないでしょう。

しかし実際に過去に虐待を受けた人々にとってはどうでしょうか。ひどく辛い子供時代を過ごしたのに、今度は大人になって「自分が親にされて本当に辛かったことを、自分も我が子にしてしまうのだろうか。」と苦悩されるかもしれません。特に、これから出産を控えている被虐者にとって、これほど恐ろしいことはないでしょう。

そうです。被虐ママ(過去に虐待を受け、自分も母(あるいは父)となった人)にとって、この虐待連鎖論は、文字通り死活問題となりえます。自らが受けた仕打ちが虐待だったと本人が認識しているかどうかはさておき、客観的に虐待の事実があった元被虐児たちは、親になることを非常に恐れる傾向にあります。

子供は自分の親の子育てしか知りません。友達の家に遊びに行ったりして偶発的に、自分の家との違いを垣間見ることはあるかもしれませんが、多くの場合では親の子育てが、その子供にとっての「普通の子育て」であり、体の芯までに染みている子育てです。機能不全家族では「虐待=しつけ=子育て」化しており、虐待こそが子育てのモデルケースとして、その子の目に焼き付いてきた訳です。自分自身が苦しみ抜いた「子育て」を、これから自分が我が子にしてしまうと思うことは、私たちが想像する以上に恐ろしいことでしょう。

さて、当初は自分の家の子育てしか知らなかった被虐者も、年齢を重ねるにつれて、自分が親からされていた子育てが、普通の家の子育てと、どこか異なることに気づく機会が訪れます。そして妊娠をする頃になると「自分は普通の子育てを受けてこなかったのかもしれない。自分は普通の子育てを知らない。」という苦悩に直面するのです。「虐待は連鎖する」という冒頭に書いた「噂」を耳にして地獄に突き落とされるような気持に襲われることもあるでしょう。

・普通の子育てがどういうものなのか分からない。どのように躾けて、どのような声を掛ければいいのか分からない。

・普通の子育てを知らない自分はまともな親にはなれない。ちゃんとした子育てなどできる訳がない。

・それどころか、親と同じように酷いことをしてしまうのではないか。自分には親の血が流れているのだから、自分にもそういう気質があるに違いない。

そのような言葉が、妊娠中、頭中を駆け巡ることもあるでしょう。ただでさえ被虐者の方は妊娠を機に、フラッシュバックが始まったり、酷くなるケースがあるので、それにも影響されるかもしれません。

更に、赤ちゃんを出産すると

・可愛いと思えない。恐ろしい、気持ち悪いとさえ思ってしまう。

・赤ちゃんをそんなふうに思ってしまう自分は、やはり恐ろしい人間だ。

・(被虐者の場合、産後や子育ての苦しみが壮絶な余り)親が自分に虐待をした気持ちが分かるような気がしてしまう。

・やはりいずれ自分も親と同じことをしてしまうに違いない。

・自分は母親になるべき人間ではなかった。こんな自分が母親でこの子に申し訳ない。

そのように自分を責め、「いずれ虐待をしてしまうのでは?この子に酷く辛い思いをさせるのでは?」と恐れてしまうことがあります。

普通の親に育てられた母親でさえ、初めての子育ては分からないことばかりであり、産後の心身の疲労等で、子育てに不安を感じることはよくあります。里帰りで実親の支援を受けたり、パートナーの積極的な協力を得て、ようやく子育てに慣れ、楽しさを見出していくものですが、被虐者は当然里帰りが機能する実家ではないですし、パートナーの協力が得られず、独りで育児をしていることも決して少なくありません。そのようなことを考えてみると「自分も親と同じように酷いことをしてしまうのでは…」と被虐者が思い悩んでしまうのは、ある意味当然のことかもしれません。

もしそのように思い悩む被虐ママがいるとしたら、このように問いかけます。

あなたはもしかすると、今はまだ、子供にうまく接することができていないかもしれません。けれど、あなたの親があなたに言った事と同じ事を、我が子の気持ちを一切考えずに、言う事ができますか?あなたの親があなたにしてきたように、我が子を踏みにじることはできますか?それをしたとしたら、あなたの心は酷く傷つきませんか?

重要なことは、親と同じことを我が子にしてしまうと想像すると、あなたの心が痛むかどうか、です。そうです。我が子が傷つけられることに、心を痛め、心配し、恐怖することこそが、親心と言うものです。もしも実際に我が子に対して酷いことを言ってしまった、してしまったとしても、それに自分自身が傷つき、後悔していることが、「普通の親」です。そのような気持ちが伴う「我が子にしてしまった酷いこと」は「普通の親がする普通の失敗」の範疇です。あなたの親があなたに行った「親自身が傷つかない、罪悪感のない、反省のない」仕打ち(=虐待)とは、本質的に異なることを知ってください。両者には計り知れないほどの隔たりがあり、実は「連鎖は起きない」ことが多いことをまずは知っていただきたいのです。

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