本ブログに足を止めてくださり、有難うございます。この記事では、「軽度知的障がい」や「境界知能(ボーダー)」等への言及があります。こちらの記事をご覧いただくにあたっては事前に下記の記事をご覧いただくようお願い申し上げます。
さて、下記の記事で「とある事情から、人が虫の痛みに共感できないのと同じように、我が子の痛みに共感できない親がいます。」と書きました。
この「とある事情」が、実は「知能の問題」を意図していました。
「児童虐待問題」が「軽度知的障がい」と「境界知能」と深く結びつくのは、まさに
(子育てにおける)共感能力
=我が子の状況、表情、気持ちを読み取り、自分に置き換えて考える力
=我が子の痛みや苦しみを、我が事のように感じてしまう力
の欠如にあります。
なぜ欠如しているかというと、前回からの重複になりますが「相手の立場を考えられるために最低限必要な知能」を持っていないからです。
下記の記事でも書きましたが、正常知能の親や、被虐経験のある親は、知能が正常であるが故、我が子の痛みに共感してしまう力を持っています。つまり「我が子が痛いと、自分も痛い」ために、基本的には虐待が起きない仕組みが出来上がっています。虐待して我が子を傷つければ、間接的に自分も傷付くためです。
共感能力(知能)のなさを主因とする虐待と、共感能力を有しながらも、別の要因で行われる虐待とでは、虐待を行う時の親の心理が全く異なります。
虐待親が擁護される際によく言われるのが、「愛しいはずの我が子に虐待をしてしまうほどに辛いことが、親にもあったに違いない」といったものですが、これは共感能力のない親にはあてはまりません。
子への謝罪がある虐待
正常知能者による虐待は、虐待している最中は興奮して感じないかもしれませんが、必ず自身も心的外傷を負います。それが罪悪感として残り、自身の心を蝕んでいきます。彼らには共感能力がありますから、自分の虐待のせいで我が子がどれ程苦しい思いをしたのかを理解しています。よって彼らの取り調べでは比較的すぐに罪を認め、子への謝罪を口にします。
子への謝罪がない虐待
一方共感能力のない者の虐待は、親の心は傷みませんから、平然と行われます。
逮捕されたことに不服さえ感じており、彼らの取調べでは、子への謝罪は聞かれず、「自分はやっていない」、「自分も大変だった、自分も被害者」、あるいは「だんまり」です。
場合によっては「可哀想なことをした」「悪いことをした」くらいの反省は口にしますが、質的に浅いです。境界知能者よりも、軽度知的障がいの方が素直な一面があり、反省の言葉は後者の方が出やすいです。
しかしながら「我が子の命を奪った」という致命的な過ちに対して、通常の親が感じるであろう、言い表せないほどの後悔や罪悪感にまでは至らないのです。
最後までブログをお読み頂き、本当にありがとうございます。もし少しでも参考になったと思っていただけた場合は、バナーをクリック頂けると、ブログ更新の励みになります。では、また次回の記事でお会いしましょう。
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