「普通」のふりをして生きてきた、あなたへ ― 虐待サバイバーが抱える生きづらさの正体

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「普通」になりたい。
物心ついた頃から、祈るように、あるいは呪うように、ずっとそう願ってきた。

けれど、「普通」とは何なのか。 その定義を言葉にしようとすると、指の間から砂のように零れ落ちていく。 テレビドラマで見るような、休日に笑顔で食卓を囲む家族のことだろうか。 友人がSNSに投稿する、親への感謝の言葉のことだろうか。 それとも、理由もなく明日が来ることを信じられる、根拠のない安心感のことだろうか。

正直、よく分からない 。
ただ、確かなことが一つだけある。
私は、「普通」ではないということ。

目次

第1章 「自分だけが違う」と感じる透明な壁

街を歩いていると、ふと足が止まることがある。 交差点を行き交う人々。楽しそうに笑い合う学生、手をつなぐ親子、疲れながらも家路を急ぐ会社員。

彼らは皆、カラフルな「感情」という血液を循環させて生きているように見える。 けれど、私だけが違う。 同じ空間にいて、同じ空気を吸っているはずなのに、 私と世界の間には、分厚くて冷たい「透明な壁」が立ちはだかっている。

みんなが当たり前に持っている「安心」や「愛情」という装置 ——それを私は持っていない。 製造ラインのどこかで、決定的な部品を入れ忘れられたのか、あるいは初期不良で焼き切れてしまったのか。 私は、どこか壊れた欠陥品。そんな感覚が、背骨に冷たい杭として打ち込まれている。

だから私は、必死に隠すことにした。 自分が「異物」であることがバレないように。 「普通」のフリをして、精巧なマスクを被る。 周りの人が笑えば、0.5秒遅れて口角を上げる。 「悲しいね」と言われれば、眉を下げて共感したフリをする。

それは、社会という群れの中で生き延びるための、決死の擬態だ。 息を潜める。 目立たないように。 波風を立てないように。何も求めない。求めてはいけない。 何かを欲しがって、手を伸ばした先で叩き落される痛みは、もう二度と味わいたくない。 だから、最初から「欲しくない」と自分を騙す。

何も感じる必要はない。 感情は、生存の邪魔になるノイズだ。 悲しみも、怒りも、そして喜びさえも、心の奥底にある鉛の箱に閉じ込めて、鍵をかける。 そう念じなければ、私は今日という一日を立っていられない。

第2章 あなたの痛みは欠陥ではない

もし、あなたが今、この文章を読みながら「これは私のことだ」と感じてくれたのなら。 どうか私たちに、あなたの「隣」に座ることを許してほしい。

正面から向き合うのではない。 上から手を差し伸べるのでもない。 ただ、同じ方向を見つめ、少しだけ距離を置いて、隣に座らせてほしい。

そして、これだけは伝えさせてほしい。
あなたのその痛みは、決しておかしくない。

あなたが「普通」になれなかったのは、あなたがシステムエラーを起こしているからではない。 あなたのその「何も感じないようにする」という機能は、あなたが「弱い」からでも、「性格が悪い」からでもない。

それは、あなたが過酷な環境下で生き延びるために、自らの手で構築した、あまりにも優秀で、悲しいほどに健気な「生存戦略」だったのだ。

あなたの頑張り、不安、無気力。誰にも言えずに飲み込んできた痛み、苦しみ、悲しみ、 そしてマグマのような怒り。 それらは本来、欠陥の証拠などではない。 一つひとつが大切に扱われるべき、あなたが戦ってきた「証」だ。

誰かに期待することの恐ろしさを、あなたは知っている。 「今度こそは」と信じて、震える手で差し出した心を、無惨に踏みにじられた時の音を、あなたは覚えている。 あの足元が崩れるような、世界が色を失うような絶望。 家という、本来なら世界で一番安全であるはずの場所が、最も危険な地雷原だったという事実。

あなたは、そんな戦場のような環境の中、必死にサバイバルしてきた。 小さな体で、知恵を絞り、空気を読み、できる限りのことをして、今日まで生き延びてきた。

だから、あなたが「人が怖い」と思うのは当然だ。「信じることが怖い」と思うのは、あなたの防衛本能が正常に働いている証拠だ。

第3章 このサイトでできること・できないこと

だから私たちは、あなたに無理に「私たちを信じて」とは言わない。 「心を開いて」なんて、無責任なことは言わない。 ただ、何があったのか。あの時、本当は何を感じていたのか。 あなたが必死に隠してきた、これまでの物語を、ただ静かに知りたいと思っている。

ここまでたどり着いてくれて、ありがとう。 最後に、私たち自身の話をさせてほしい。

私たちは、神様でも魔法使いでもない。 魔法のように、あなたの過去を消し去ることはできない。 そもそも、「私たちが」あなたを変えようとは思っていない。 人が癒え、生まれ変わるのは、誰かに変えられるからではない。 あなた自身が本来持っている「回復する力」が、安全な場所で芽吹くことによってのみ、起こる現象だ。

私たちは、そのための土壌を整え、雨風をしのぐ屋根となり、あくまでほんの少し手を添える黒子に過ぎない。

また、正直に告白しなければならない。 私たちはまだ、発展段階にある。人の心という、宇宙のように深淵な領域を扱うには、まだ技術不足の点があるかもしれない。 私たちは研究の最中であり、あなたと共に学んでいく存在だ。

そして、この場所を持続可能なものにしたいと思っている。 これらのことで、あなたを傷付けてしまわないか、やっと芽生えた小さな期待を裏切ってしまわないか、私たちは常に気がかりでならない。

けれど、それでも私たちは、言葉を紡がないではいられない。 あなたという存在を、見ないふりをして、関係ないものとして、人生を終えるわけにはいかない。そう思っている。

「普通の親」はなぜ虐待しないのか──その答えは、虐待する親に「ないもの」を知ることで見えてくる。

第4章 あなたを苦しめた「嵐」の正体を知るために

ここまで、虐待環境で身につけた生存戦略と、その代償について見てきた。ここからは、その影響が「大人になった今」どのように現れているかを掘り下げる。

一つだけ、確信を持って伝えたいことがある。

あなたが”それ”を強いられてきたのは、あなたの人格のせいでも、努力不足のせいでもない。 あなたが「悪い子」だったからでも、「欠落人間」だったからでもない。

それは、避けられない災害のようなものだった。 誰にもどうしようもできなかった、構造的な原因があったのかもしれない。 幼いあなたにはどうすることもできない、抗えない「嵐」のようなものだったのだ。

その嵐の中で、あなたはただ一人、傘もささずに立ち尽くしていた。 それなのに、あなたは「自分が濡れているのは、自分の努力が足りないからだ」と自分を責め続けてきた。

もう、終わりにしよう。

私たちは、その「原因」の正体を、あなたと一緒に紐解きたい。 感情論や精神論ではなく、論理と事実の光を当てて、あなたが長年背負わされてきた「不当な荷物」を、一つひとつ降ろしていきたい。

荷物を下したその先に、あなたはいったい何を思うだろう。 どんな景色を見ているのだろう。私たちは、その未来にとても深い関心がある。

あなたと私たちの出会いが、静かな安らぎへの、最初の一歩となることを願っている。

「普通」がわからないのは、一度も体感として経験したことがないから

「普通」になりたい。そう心から願ってきたあなたへ、一つ伝えたいことがある。「普通」がわからないのは、あなたが警戒心が強すぎるからでも、想像力が小さいからでもない。

安心できる家があるとはどういう感覚か。気兼ねなく本音になれるとはどういう感覚か。テレビや本で知識としては知っていても、その感覚自体が体の中にない。もしあなたが外国語を対訳語だけで学んで、一度もその国に行ったことがなければ、その国の文化や空気感はなかなか実感としてわからない——それと同じことである。

だから、「普通」を知りたいなら、まず安全な場所で小さな「安心」を積み重ねることから始まるのかもしれない。「普通」の定義を学ぶことよりも、その感覚を初めて体験することの方が、はるかに大切なのである。

「甘え」を禁じられた記憶が、回復を遅らせる

「普通」のふりをしてきた人の多くは、いつの間にか「甘えること」自体を嫌悪するようになっている。診察を求めるのは「弱さ」。つらい気持ちを言葉にするのは「問題を大きくしているだけ」。自分の苦しい気持ちを認めるのは「甘えている」——こうなっている。

それはあなたの性格ではない

小さな求めを持っていた心を、何度も踏みにじられた歴史があるからである。「求めること」そのものが危険だと学んだからこそ、こんなに感情を制御するようになったのである。

回復の障壁となる「甘え禁止」ルール

回復への道のりで、この「甘え禁止ルール」は特に大きな障壁になる。自分が傷ついていると認めること、サポートを求めること、そして少しずつ安心にまかせること——それらは「弱さ」ではなく、本来人間に備わっている健全な力である。禁じていたのは、環境がそうさせたのであって、あなた自身の決定ではなかった。

「うまくやれない」の背景に、何があったのか

「空気が読めない」「人間関係が長続きしない」「場の流れについていけない」——そう感じてきた人が、長年「自分は発達障害なのではないか」と思い続けることがある。

しかし、こうした困難の一部は、生まれつきの神経発達の問題ではなく、「安全につながること」を一度も体験できなかったことから来ている場合がある。

愛着の問題を抱えた人は、他者との距離のとり方を「体感として」知らない。親との関係の中で、近づけば傷つき、遠ざかれば見捨てられる——その繰り返しの中で、「人との距離感」は歪んだまま発達する。その結果として現れる「場の空気が読めない」「関係が続かない」という困難は、見た目には発達障害と区別がつきにくい。

あなたが「うまくやれない」と感じてきたのは、能力の問題でも、脳の問題でもないかもしれない。一度も「安全な関係」というものを学ぶ機会がなかっただけかもしれない。安全な関係の中でそれを学ぶ機会が、これまで一度もなかっただけのことである。

第5章 回復するとき、なぜ人は「崩壊」するのか

なぜがまんが揺らぎ始めるとき、恐怖が先に来るのか

長年の「がまん」が少しずつ揺らぎ始めるとき、その体験は単純に嬉しいこととして訪れない。当事者にとって、感情の解凍は、安堵よりも先に、強烈な恐怖として体験されることが多いのである。

虐待を受けて育った子どもは、長い時間をかけて「愛情を期待しない」という状態に辿り着きる。繰り返し期待し、繰り返し裏切られた末に、子どもは静かな決心をする。「もう期待しない。期待しないで生きていく」。このがまんを何年もかけて固めてきた。感情を抑圧することは、傷つかないための命がけの選択であった。

差し出されたケアへの拒否反応は、支援者への敵意ではなく、自分が命がけで築いてきた均衡が崩れることへの恐怖から来ている。

回復の場でこの恐怖が現れるとき、それは理由のはっきりしない感情の揺れや拒否感として体験されることが多いのである。支援者に急に距離を置きたくなる、少し前まで話せていたことが話せなくなる、なぜか突然涙が出てくる——これらはすべて、感情を持たないことで命を守ってきた防衛が、初めて揺らぎ始めているサインである。

「人と心が通じるようになる」という力は、本来幼少期に親子の間で築かれるものである。しかし被虐者がそれを手に入れるには、大人になってから、一人との継続的な関係の中でゆっくりと育てていくことになる。

「回復すれば楽になる」と信じていた人が、回復の途中で突然動けなくなる——このことは、虐待からの回復を経験した人たちのあいだで、繰り返し語られる現実である。

「崩壊」とはどういう状態か

回復のプロセスには、しばしば「崩壊」と呼ばれる時期がある。頭が真っ白になり、文字が入らない。ひたすら眠い。話すことが尽きる。それまで書いていたものが書けなくなる。外から見ると悪化しているように見えるこの時期は、実は深く癒しが進んでいるサインである。

台風の目——当事者の言葉から

ある当事者は、この時期をこう表現した。「台風に向かって歩いていたら、気づいたら台風の目の中にいた。静かなのに、周りは嵐の中」。回復の崩壊期は、感情の嵐の中心にいる状態である。外側は静かに見えても、内側では今まで封じてきたものが動き始めている。

崩壊は後退ではない、深化だ

崩壊は1回で終わらないことも多く、何度か繰り返しながら、そのたびに少しずつ深いところが動いていきる。「またか」と感じたとき、それは後退ではなく、新しい層に触れ始めたサインである。

第6章 「自己受容」とは、本当は何を意味するのか

「自分を受け入れましょう」という言葉は、よく聞かれる。しかし虐待を受けて育った人にとって、この言葉は思った以上に複雑な意味を持ちる。

虐待サバイバーにとっての「自己受容」とは

被虐待経験者にとっての自己受容は、「前向きに考えること」でも「ポジティブになること」でもない。それは、自分がどれほど大変だったか、どれほど頑張って生き延びてきたかを、自分自身でわかることである。

自己受容を「怖い」と感じる理由

多くの人が、自己受容を怖いと感じる。「それをしたら空っぽになる」「親を諦めなければならなくなる」という感覚があるからである。長年「愛情を期待しないで頑張る」という形で生き延びてきた人は、その方法を手放すことが、自分の存在の基盤を失うように感じられる。

崩壊期に起きていること

崩壊期の正体は、この「諦め」が心の深いところで起きていく過程である。「愛情を求めながらがまんし続ける私」と「がまんをやめて楽になっていい私」——その一人相撲がやっと終わる瞬間を、心は崩壊として体験する。

自己受容は一瞬で起きるものではなく、このような崩壊と回復を繰り返しながら、少しずつ根を張っていくものである。

この記事を読んで「自分のことかもしれない」と感じたなら、以下の記事がその先を照らす手がかりになる。

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