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この春、社会人としての第一歩を踏み出す早紀さん(仮名・22歳)は、実家で母と二人暮らしをしている。
父は、早紀さんが幼い頃は同居していたものの、激務と海外転勤を理由に、この6年間はほとんど帰国していない。
一人っ子の早紀さんにとって、家庭とはすなわち母と私だけの、閉ざされた国だった。
傍から見れば、仲の良い母娘に見えるだろう。一緒に買い物に行き、服を選び、進路を相談する。しかし、その実態は「相談」などではない。絶対君主である母によって、全てが指図された。
第1章 侵略される「選択」
早紀さんの記憶にある限り、彼女が自分の意志で何かを選び取ったことは一度もない。今日遊ぶおもちゃ、着る服の色、好きな食べ物、付き合う友達、習い事。人生を彩るはずのすべての選択肢は、あらかじめ母によって選別され、与えられてきた。
「早紀ちゃん、人形遊びなんてつまらないでしょう。お絵描きにしなさい。」
「早紀ちゃん、今日はその色の服じゃなくて、こっちにしなさい。その方が絶対かわいいから。」
「早紀ちゃん、今度からピアノを習いましょうね。お母さんの小さい頃からの夢なの。」
母の言葉はいつも優しい音色をまとっていた。だが、その優しさの裏には、「ノー」という選択肢が存在しなかった。
小学校に上がる頃、早紀さんは自分の「好き」や「やりたい」という感覚がよく分からなくなっていた。友達が「何が好き?」と聞いてくると、頭の中が真っ白になった。自分の好きなもの。そんなものが、本当にあるのだろうか。
そして、初めて母に逆らったのは、小学校低学年のある日だった。「お母さん、でも私は……」その瞬間、母の顔から表情が消えた。眉が吆り上がり、ギロリとした目が早紀さんを射抜いた。
「一人じゃ何もできないくせに、お母さんに言いたいことがあるの?あなたは何も分かっていないんだから!お母さんの言うことを聞いていれば、間違いないんだから!」
友達との約束があろうが、明日がテストだろうが、お構いなしだ。母の気が済むまで、人格を否定され続ける説教タイム。「お母さんは悲しい」「裏切られた」「あんたのためを思って」。罪悪感と恐怖を交互に植え付けられる拷問のような時間は、早紀さんの心を磨耗させた。
「そうだよね……。お母さんの言う通りだね。」早紀さんの言葉は消えていった。
嵐が過ぎ去ると、母はコロリと態度を変える。「お母さんに任せておけば間違いないのよ。すべては早紀ちゃんの為なの」。その言葉は、慈愛の仮面を被った鏖だった。
第2章 成功は母の「手柄」、失敗は娘の「罪」
小学校高学年になると、母の支配は「受験」という形で加速した。母は早紀さんを有名私立中学に入れると決め、毎日の勉強スケジュールから塾の選定、友達との交遊の制限まで、すべてを管理した。
テストの点数が悪ければ、「お母さんがこれだけやってあげているのに、どうしてあなたは応えてくれないの?」。自分が出来損ないだから、母を苦しめているのだと信じ込んでいた。
そして、無事に合格した時。母の喜び様は異常だった。近所の人や親戚に電話をかけまくり、まるで自分の手柄のように自慢して回った。「いやだわ、本当に勉強しか取り柄のない子ですからねぇ!でもこの子のお受験には私も本当に苦労したんですよ~!」
その夏、町内会のお祭りで決定的な出来事が起きた。
近所のおじさんたちが「早紀ちゃん、S中合格おめでとう。大したもんだ」と褒めてくれた。母は満面の笑みで、いつものように自分の苦労話を始めた。「私がつきっきりで見てやったんです」「お弁当作りが大変で」。
その時、近所のおばさんが言葉を挟んだ。「まぁ、でも親がどうであれ、実際に頑張ったのは早紀ちゃんでしょ。親が必死になっても落ちる子は落ちるんだから。すごいな~早紀ちゃん、あんたは偉いよ」。周りの大人たちも「まあ確かにな」「早紀ちゃんの実力だよ」と頷き、称賛の対象が母から早紀さんへと移った。
その瞬間、早紀さんは見てしまった。母の顔から、みるみるうちに色が失われ、鬼のような形相へと変わっていくのを。(まずい、まずい。どうしよう……)褒められているのに、言葉が全く頭に入ってこない。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が流れる。(お願い、もうやめて!私を褒めないで!お母さんを見てあげて!)心の中で絶叫していた。
帰宅するなり、母は爆発した。「みんなに褒められて、さぞご満悦ね~!これまでお母さんがどれ程あなたを陰で支えていたか知りもしないで!いい気にならないでよ!」
ガシャン。母が投げつけたコップが窓に当たり、ガラスとコップが同時に砕け散った。
それから数日間、母は早紀さんを完全に無視した。食事も作らず、目も合わせず、存在しないものとして扱われる恐怖。「怒鳴られる」よりも恐ろしい、「見捨てられる」という制裁。
5日目に突然、母は何事もなかったかのように「ご飯できたわよ」と声をかけてきた。早紀さんは安堵のあまり泣きそうになった。そして、二度と母より目立ってはいけない、母より幸せになってはいけないと、魂に刻み込んだ。
第3章 奪われた初恋
大学生になり、早紀さんに初めて彼氏ができた。サークルで知り合った、誠実で優しい同級生だった。告白された時、最初に頭をよぎったのは「嬉しい」という感情ではなく、「お母さんにどう説明しよう」という恐怖だった。
母は頻繁に早紀さんの手帳や携帯をチェックしていたため、彼氏の存在はすぐに露見した。「お母さんに隠れて男を作るなんて、いやらしい子ね!」軽蔑の眺差し。汚らわしいものを見る目。
「ごめんなさい、付き合おうと言われて、断れなかったの」。必死に謝る早紀さんに、母は冷たく言い放った。「一人に言われたからって、貴方に魅力があるなんて思わない事ね!お母さんが若い時はね…」。そこから始まる、母の過去のモテ自慢。早紀さんの自尊心は、粉々に踏み砕かれた。
彼とカフェで会う約束の日、母は「自分も同行する」と言い出した。断れるはずがなかった。当日、現れた母の姿を見て、早紀さんは愄然とした。まるで自分がデートに行くかのような、華やかなワンピースに念入りなメイク。香水の匂いがきつい。
カフェで彼と対面した瞬間、母は「鬼」から「聖女」へと変貌した。「初めまして。早紀の母です。娘がいつもお世話になっております」。上品な笑顔、完璧な立ち居振る舞い。母は彼の前で別人のように振る舞い、会話の主導権を握った。
その夜、母は言った。「気づいた?彼、貴方じゃなくてお母さんばかり見つめていたのよ?」。勝ち誇ったような顔。娘の彼氏にすら「女」として張り合い、勝利を確信して悦に入る母。早紀さんは吐き気を催した。
その後も母は、彼を家に呼ぶようにしきりに勧めた。デパートで買った高級総菜を皿に盛り付け、「お母さんが作ったのよ」と嘘をついて出した。しかし、破局はすぐに訪れた。母が早紀さんの知らないところで彼と連絡先を交換し、頻繁にやり取りをしていることが発覚したのだ。
「お母様から相談を受けていて…」と困惑する彼。母は、娘の恋愛相談に乗るふりをして、二人の間に割り込んでいた。疑心暗鬼になった早紀さんは、彼と些細なことで喧嘩を繰り返し、結局別れることになった。
「男って本当に勝手よね。でも大丈夫。お母さんだけは、絶対に早紀ちゃんを見捨てないからね」。その言葉は、救いではなく「呪い」だった。私は一生、この人の所有物なのだ。母という名の牢獄で、母を輝かせるための「引き立て役」として一生を終えるのだ。
第4章 社会人になっても続く「搾取」
早紀さんは今年から新社会人になる。就職先ももちろん、母が選んだ会社だ。「転勤がない」「実家から通える」「知名度がある」。それが母の出した条件だった。早紀さんの「やりたいこと」など、考慮の範畴にすらない。
入社式の前日、母がとんでもないことを言い出した。「お母さんも入社式に出たいわ」。急いで会社に確認し、「保護者の出席はご遠慮ください」という回答を伝えたが、母は納得しなかった。
当日、母は会場までは入らなかったものの、会社の正面玄関までついてきた。そして、新入社員や上司が行き交うエントランスで、娘の同期に満面の笑みで挨拶をして回った。「早紀の母ですぅ~!うちの子、何もできない子ですけど、仲良くしてやってくださいね~!」
入社式の会場で、早紀さんは同期の視線を感じていた。「お母さん若くて綺麗だね」。誰かがそう言った。母はその言葉を待っていたかのように微笑んだ。
帰りの車の中で、母は上機嫌だった。「あの上司の人、お母さんのことチラチラ見てたわよ」。早紀さんの入社式は、いつの間にか母の品評会になっていた。
初めての給料日。銀行口座には、自分の名前で振り込まれた十八万円があった。通帳を眺めていると、母が当然のように手を差し出した。「生活費。当たり前でしょう? 育ててもらった恩があるんだから」。早紀さんは一瞬も迷わなかった。通帳ごと差し出した。
翌月も、その翌月も。給料は振り込まれるたびに母の手に渡った。早紀さんの手元には、母が「お小遣い」と呼ぶ二万円だけが残された。
お母さんに任せておけば間違いない——早紀さんはそう思っていた。思おうとしていた。進路も、恋愛も、お金も、すべてを母に委ねることが「正しい生き方」だと信じていた。
あるカウンセラーは「過干渉の環境で育った人に『自分で考えなさい』と言うのは、水の中で育った魚に『空気を吸いなさい』と言うようなものだ」と語ります。早紀さんが思考を母に委ねたのは、依存心が強いからでも、意志が弱いからでもありません。考えることが許されない環境では、考えないことが生き延びる手段になります。認知を変えれば楽になるという助言が過干渉サバイバーに届きにくいのは、そもそも「自分の認知」というものを一度も持ったことがないからです。
そうやって思考を止めることでしか、この家では息をしていられなかった。






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