兄弟差別の構造:親が子に割り振る役 ー愛玩子・搾取子・無関心子ー

兄弟差別をする親のもとで育つと、きょうだい同士の関係も、親の手によって形作られる。「あの子だけが可愛がられた」「自分だけが標的だった」「自分は最初から数に入っていなかった」――そうした感覚は当事者の中ですでに知られているが、その先にある構造は、なかなか言葉にならない領域である。

この記事では、その構造を、役のかたち・役の動的性質・親の動機・役を降りる手立て、の順に整理していく。

目次

兄弟差別の見取り図

兄弟差別とは、家庭の中で親がきょうだい間に明確な扱いの差をつけることをいう。

兄弟差別を構造として見ると、いくつかの主要な要素に整理できる。

ひとつは、親が子それぞれに割り振る「役」である。可愛がられる愛玩子と、はけ口にされる搾取子。これに加えて、家族によっては、ほとんど関心を向けられない子(無関心子)が生まれることがある。

ひとつは、役の動的な性質である。役は子の特性で決まったように見えて、実際は親の都合で配られたものなので、親の事情が変われば入れ替わる。

ひとつは、兄弟差別とは別の現象として並走する「分断工作」である。親が能動的にきょうだい同士を仲違いさせるしかけが、一部の家庭で組まれている。

ここから先は、この3つの観点を順に見ていく。兄弟差別の典型像については、別の入口記事で扱っている。

親が子に割り振る役

兄弟差別が起こるとき、親はそれぞれの子に異なる役を割り振る。当事者の話を聴いていくと、繰り返し見える役のパターンがある。各役について、その役で育った子に残りやすい影響と、その役の中で生まれるもう一つの分岐を、合わせて見ていく。

① 愛玩子:親の鏡として可愛がられる子

愛玩子は、親に異常に可愛がられる子である。表面的には恵まれた子に見える。けれど、その可愛がりの中身をよく見ると、子そのものが愛されているのではなく、親の自尊心を支える役として可愛がられていることが分かる。一人の人間としてではなく、親の自尊心を映す鏡として、その存在が扱われているのだ。

愛玩子への可愛がりには、ほとんどの場合、見えない条件がついている。親の期待に応えられる範囲で、親の自慢になる範囲で、親が描く子ども像から外れない範囲で――そのうちは可愛がられるが、そういう役回りに過ぎない。条件から外れた瞬間、扱いは一変する危険性を秘めたものだ。だから愛玩子は、自分の存在そのものではなく、自分が果たす「役」に向けられた関心の中で、生きていくことになる。

もう一つの特徴は、愛玩子を可愛がる行為そのものが、搾取子への見せつけのために使われていることだ。「あの子に比べて、お前は」「あの子はこんなに立派なのに、なぜお前は」と差を演出することで、搾取子はさらに追い詰められる。愛玩子は単に可愛がられているのではなく、もう一方のきょうだいを傷つけるための道具としても機能している。

親に溺愛されたまま、社会に出られなくなる場面を見てみよう。

ハルキさん(仮名)は、2人きょうだいの兄として生まれた。母はハルキさんばかりを可愛がり、弟は同じ家にいながら別の扱いを受けて育った。ハルキさんが何かをすれば母は大げさに褒め、何か望めば母はすぐに用意した。中学生のころから、ハルキさんは外の世界に居場所を見つけにくくなった。母は「うちの子は繊細で人付き合いが苦手」と言い、ハルキさんを学校に行かせない選択をその都度受け入れた。30代後半の今、ハルキさんは家族の食事を母に運んでもらい、自分の部屋で過ごしている。

こうした扱いを長く受け続けると、子は自分で自分の方向を決める力を奪われていく。親が描いた自分像の中で生きさせられ、自分で自分を見直す力が育ちにくい状態に置かれる。思春期に進めず、成人期にも進めず、心理的にずっと幼いまま大人の年齢を迎えるケースは、虐待臨床の現場でも知られている。

愛玩子に残るもの:罪悪感と無力感の方向

愛玩子のもう一つの特徴は、きょうだいが虐げられる場面を、家庭の中で日常的に目撃する立場にあることだ。これは、夫婦間の暴力を子どもが目撃する「面前DV」と構造が近い。

面前DVは、児童虐待防止法で心理的虐待のひとつとして位置づけられている。直接の暴力を受けていなくても、家族の中で起きている暴言・暴力を見聞きするだけで、子どもは深刻な影響を受けることが研究で報告されている。具体的には、目で見たものを認識する脳の領域(視覚野)が萎縮するという指摘がある。「見たものを覚えていないようにする」ための脳の適応として、その領域が縮んでしまう、という解釈である。さらに、PTSDや複雑性PTSD、うつ、不安障害、攻撃的行動、認知発達の遅れなどが、目撃しただけの子にも現れることが知られている。なお、言葉の暴力を目撃した場合の脳への影響は、身体的暴力を目撃した場合よりも大きいとも指摘されている。

愛玩子の場合、「自分は可愛がられている、きょうだいは虐げられている」という立場の差が、罪悪感と無力感を強める。「自分のせいできょうだいに皺寄せが行っているのではないか」「助けたいが助けられない」「次は自分が標的になるかもしれない」――こうした感情のあいだで揺れながら、長く家族内で過ごすことになる。「自分は可愛がってもらった側だから、不満を言ってはいけない」という遠慮が重なって、自分の苦しみは語られないまま蓄積する性質がある。

もう一つの分岐:きょうだいを攻撃する側に回る

愛玩子の影響は、罪悪感や無力感の方向だけではない。もう一つの分岐がある。親と一緒になって、虐げられているきょうだいを攻撃する側に回ってしまう、という方向だ。

この現象は、心理学では「攻撃者との同一化」と呼ばれてきた。子どもが、不安を与える親(攻撃者)の性質を内在化し、同じように振る舞うことで、自分の不安をコントロールしようとする防衛のかたちである。「自分が次の標的にされないように、加害者の側に回る」という自己防衛が、その根にある。

愛玩子と親が結託し、搾取子側のきょうだいを追い詰める場面を見てみよう。

妹は、家の中で「お姫様」の位置にいた。私が妹に何か言い返せば、必ず親に告げ口され、その日の夜には親から罵倒と平手打ちが飛んできた。だから私は妹に何を言われても、何をされても、黙って受け流すしかなかった。妹はそのことを知っていて、わざと親の前で私を挑発した。

親と愛玩子が結託すると、搾取子の逃げ場は完全になくなる。「家族の中で味方が一人もいない」状態が、子ども期を通して固定される。この方向に進んだ愛玩子は、大人になってからも、自分の特権的な立場を維持していたという自覚を持ちにくい。「自分も家族の中で苦しい立場だった、そうするしかなかったのだから仕方がない」と自分の行動を正当化したまま、虐げられていたきょうだいに謝罪を返せない。結果として、大人になっても関係修復ができないままであることが多い。

② 搾取子:はけ口にされる子

搾取子は、親のストレス・コンプレックス・思い通りにいかない感情のはけ口にされる子である。表面的には「悪い子」「劣った子」として家族から扱われるが、その「悪さ」は本人の特性ではなく、親の側の感情処理を引き受けさせるために割り振られた役である。

搾取子はしばしば、親自身が直視したくない自分の影を投影される。「ぐずな子」「気が利かない子」「可愛げのない子」――そうしたラベルは、親自身が自分の中に認めたくない部分の置き換えであることが多い。子に投影することで、親は自分の不快な感情から距離を取れる。子はその引き受け手として、家族の中で消費される。

もう一つの特徴は、搾取子の存在が、家族のバランスを保つために必要とされていることだ。誰かが「悪い子」を引き受けてくれるおかげで、ほかの家族は「ちゃんとした自分たち」でいられる。搾取子は家族システムの中で、生贄のような役を背負わされている。

同じ家にいるのに、一人だけが理不尽に怒られ続ける場面を見てみよう。

アユミさん(仮名)は、2人きょうだいの妹として生まれた。物心ついたときから、母はアユミさんにだけ理不尽な怒りをぶつけ、夜の物置に長時間閉じ込めた。姉は同じ家にいながら、母の関心と賞賛を一身に受けていた。なぜ自分だけがこんな扱いを受けるのか、理由は最後まで分からなかった。専門学校進学のために家を出て以来、母とは一度も顔を合わせていない。

搾取子は、家族の中で不当な怒りを引き受け続けるうちに、「自分には何かしらの欠陥があるはずだ」と思い込むようになる。そう思い込まないと、目の前で起きていることの説明がつかないからだ。これは子どもにとって、自分の存在を投げ出すことなく虐待を生き延びるための、ひとつの心理的な手段でもある。

搾取子に残るもの:出口のない怒り

搾取子に残りやすいものは、低い自己肯定感と、行き場のない怒りである。「ほかのきょうだいは可愛がられたのに、自分は違った」という事実は、子どもの中で「自分には何か根本的な欠陥があるはずだ」という確信に変換され、努力しても消えにくいものになる。

親への怒りも、宙ぶらりんに置かれやすい。直接の身体的暴力なら通報の枠組みがあるが、兄弟差別は「ふつうの家庭の延長」として処理されてしまう。怒りは行き場を失い、優遇されたきょうだいに振り向けられたり、逆に自分の中で抑え込まれて、うつや摂食障害として表に出たりする。

大人になってからも、親に何も言えないまま苦しみ続ける人の声がある。「自分は搾取子だったので親を恨んでいる。けれど、そのことについて親に何も言えない。行き場のないドス黒い感情が心の奥底で封印されている」――そんな相談が、精神科の診察室には少なくない数で届いている。

搾取子側には、愛玩子や無関心子のような「親同調方向への分岐」は基本的に存在しない。なぜなら、家族内で標的にされている本人だからである。家族の中での味方を持たないまま、家を出る年齢まで耐えるか、出口のない怒りを抱えたまま大人になるか、という二択に近い状況が続く。

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