子育て支援の窓口で、とある二人の母親がそれぞれ「子育てに悩んでいる」と口にした。
ニュースになれば、どちらも「子育ての悩みを相談していた」と報じられるだろう。しかし、この二人が抱えているものは、まったく異なっている。
支援の現場でまず必要なのは、「悩んでいる」という言葉の裏にあるものを聴き分けることだ。言葉尻に惑わされてはいけない。
窓口に来た二人の母親
ある役所の子育て相談窓口に、二人の母親がやってきた。
Aさんの場合
支援者「今日はどうなさいましたか?」
A「子育てに悩んでいて……。
子どもが泣いているのが怖いんです。最初の数か月は何とかやれていたのですが、半年くらい前から泣き声を聞くとパニックになるようになって、頭が真っ白になります。それからずっと手を挙げそうになるのを必死に堪えて育児をしていましたが、先週ついに手を挙げてしまいました。自分が怖くなって、今日ここに来ました。」(Aさん、泣くのを堪えている)
支援者「そうだったのですね。よく話してくれました。もう少し聞かせてください。」
A「子どもはまだ小さいから、ママ、ママと言って近寄ってきます。あの子はきっと不安で、ただ甘えたいだけなのに……私はそれが怖いんです。
ママ友はみんな自分の子をちゃんと可愛がっているのに、私もちゃんと可愛がらなきゃいけないのに、我が子を怖がるなんて。ダメな母親なんです…」
支援者「ご主人やお母様のことを聞いてもよいですか?」
A「主人はいつも帰りが遅くて、育児に協力的ではありません。でも、仕事が大変なのはわかるし……仕方がないと思います。私の母親は離れたところに住んでいますから、協力できないのは当然です。それにお祝いもくれましたし。普通のお母さんは一人でも何だかんだ言ってちゃんとやってますよね。(略)」
Bさんの場合
支援者「今日はどうなさいましたか?」
B「子育てに行き詰まっています・・・。
子どもが全然ご飯を食べてくれないんです!こっちは作ってあげてるのに、わがままばかり言って、この間なんてお皿を投げつけたんですよ!
頭にきて突き飛ばしてやったら、大きな声で泣いて…泣きたいのはこっちですよ!」(Bさん、怒っている雰囲気)
支援者「そうですか、大変でしたね。よく来ていただきました。お母さん、お子さんは可愛いですか?」
B「そりゃ、可愛いですよ?ほら、この子の、パッチリ二重。私にそっくりなんですよ。
でも言うこと聞かないときはすっごくイライラします。友達と会う予定があるのに、準備が全然進まない!この間ホテルの時だってそう!
夫も全然協力してくれないし!もう、こんなはずじゃなかった!私ばっかり毎日大変なんですよ。夫婦の子なのに、これっておかしいですよね?!」
支援者「・・・・そうなんですね……。毎日色々と大変ですよね…。ちなみに今日はどうしてこちらに来ていただこうと思ったのですか?」
B「え?それは夫に「子育ての愚痴を聞いてもらった方がいい」って言われたから来たんです。どうしてもってうるさかったんでとりあえず来ました。
まあ、子育てに悩んでるってのは本当ですけどね~
そういえば、ここきれいになりましたね〜!あそこにある飲み物は無料なんですか?」(Bさん、突然話が変わる)
「悩み」と「不適応」のあいだ
二人とも「子育てに悩んでいる」と言った。しかし、その中身はまったく違う。
Aさんが抱えているのは「葛藤」だ。子どもを愛したい気持ちと、うまくいかない現実のあいだで苦しんでいる。手を挙げてしまった自分に罪悪感を持ち、「このままではいけない」と自覚している。自分の意思でこの窓口に来た。
Aさんは知的に問題のない母親であることが推測される。
▼ Aさんの語りを振り返ると——3つの認知機能がすべて働いている
| ✓ ❶時系列 | 「普段も→先週ついに→ここに来ました」——出来事を順序立てて整理できている |
| ✓ ❷想像力 | 「あの子はきっと不安で」「仕事が大変なのはわかる」——子ども・夫・母の気持ちを想像している |
| ✓ ❸比較 | 「ちゃんと可愛がらなきゃいけないのに」——「こうあるべき自分」と現実の自分を比べている |
自責は過剰だが、そこには子どもとの関係を何とかしたいという切実さがある。これが「葛藤」の構造だ。
一方、Bさんが持っているのは「不満」と「怒り」だ。子どもに対して、夫に対して。子を突き飛ばしてしまったことへの罪悪感は見えない。相談に来たのも、夫に言われたからだ。話の時系列が良くわからず、話が様々に逸れ、支援者は「何のために来たのか…?」と戸惑うことになる。
▼ Bさんの語りを振り返ると
| × ❶時系列 | 「この間」だけで、いつ・どんな状況かが語られない |
| × ❷想像力 | 子どもがなぜ食べないのか、どう感じているかへの言及がない |
| × ❸比較 | 「こっちは作ってあげてるのに」——自分は正しいが前提で、理想と現実の比較がない |
▼ さらに2度目の語り(「パッチリ二重」)では——話題が次々に飛ぶ
| ❶ | 「パッチリ二重。私にそっくり」 | 子どもの外見(内面への関心がない) |
| ❷ | 「言うこと聞かない→イライラ」 | 突然、不満の話へ |
| ❸ | 「友達と会う予定が…」 | 子育てから自分の予定へ飛ぶ |
| ❹ | 「この間ホテルの時だってそう!」 | いつ?何が?——文脈なく場面が飛ぶ |
| ❺ | 「夫も全然協力してくれない!」 | 突然、夫への不満へ |
| ❻ | 「おかしいですよね?!」 | 同意を求める(振り返りではなく正当化) |
支援者は「何の話を聴いているのか」がわからなくなる。これが、認知機能の制約による語りの特徴だ。
Bさんは境界知能をもつ母親だ。
この違いを見極めることが、支援の最初の一歩になる。
なぜ知能の違いが、訴え方の違いになるのか。それは、「自分の行動を客観的にみて、振り返る力」が関わっている。
「あの行動はまずかった」と振り返るには、次の認知機能が必要になる:
この3つが揃ってはじめて、「自分のしたことはまずかった」という振り返りが成立する。
知的に問題のない母親にはこの力があるため、自分の行動を振り返り、「悩み」として語ることができる。一方、知的な制約を抱えている場合、こうした振り返りが難しく、訴え方そのものが変わってくる。
悩みと不適応の違いは育児の場だけではない。例えば職場で現れたケースを見てみよう。
仕事がうまくいっていないAさんとBさん。二人の同僚は、フォローのために残業が増えている状況だ。Aさんは仕事がうまくいっていないことを痛感しており、「同僚に迷惑をかけて申し訳ない」「社会人失格だ」と自分を責めている。そんなAさんは「悩んでいる人」だ。周囲の同僚は負担を感じながらも、Aさんが相応の罪悪感を持っていることを感じ取る。
一方のBさん。同僚が自分のフォローで遅くまで残っていることを気にしていない。自分の失態で取引相手を怒らせてしまった場面でも、反省より不満を漏らす。同僚は「状況を分かっているのか」と内心思う。
二人の決定的な違いはここだ。Aさんは本人が困っている。Bさんは本人は困っていないけれど、周りが困っている。このBさんのように、客観的には本人が悩みそうなことに対して本人には葛藤が起きておらず、代わりに周囲が困っている状態を「不適応」と言う。
言葉の裏にある感情を聴く
支援者が聴くべきなのは、「言葉」ではなく、その裏にある「感情」と「構造」だ。
Aさんの語りには、時系列がある。出来事を順序立てて説明できる。子どもの気持ちを推測する発言がある。「私が悪い」という自責は過剰だが、そこには子どもとの関係を何とかしたいという切実さがある。夫や母親に対しても、「仕方がない」と相手の立場を理解しようとしている。
Bさんの語りには、時系列の整理がない。子どもの年齢も状況も具体的に語られない。子どもの内面を想像する言葉がなく、「ひどくないですか?」「これくらい普通でしょ?」と同意を求める表現が多い。話題は突然飛び、支援者は何を聴いているのか分からなくなる。
この違いは、「性格」の問題ではない。認知機能の違いが、訴え方の違いとなって表れている。相手の気持ちを想像する力、出来事を順序立てて整理する力、自分の行動を振り返る力——これらの認知機能が、「悩み」と「不適応」を分けている。
見立てを誤ったとき、何が起こるか
もしこの支援者が、二人に同じ対応をしたらどうなるか。たとえば、「突き飛ばしてしまったんですか? それはまずいですよ。下手したら虐待です」と言ってしまったとする。
Aさんは、「やっぱり私は最低な母親だ」と自分を追い詰める。「今度相談したら児童相談所に通報されるかもしれない」と恐れ、問題を一人で抱え込むようになる。支援から遠ざかった先にあるのは、孤立と、最悪の場合の心中だ。
Bさんは、「夫が行けと言ったから行ったのに、怒られた」と受け取る。窓口には二度と来ない。そして帰宅後、子どもに当たり散らすかもしれない。もっと強い力で。
同じ言葉が、片方を孤立させ、もう片方の暴力を加速させる。見立てを誤ると、支援が加害になる。だからこそ、「悩んでいる」という言葉の裏にあるものを聴き分ける力が、支援者には求められる。
支援者が身につけるべき「二種類の聴き方」
この二つのケースを見分けるために、支援者はどんな視点を持てばよいのだろうか。
一つ目は「自責があるかどうか」だ。Aさんは「自分がダメな母親だ」と言った。これは自己批判だが、同時に「こうあるべき自分」との距離を感じているサインでもある。自分の行動を問題視できているということは、そこに葛藤がある証拠だ。葛藤のある人には、話を丁寧に聴くこと自体が支援になる。
二つ目は「相談に来た目的意識があるかどうか」だ。Bさんは夫に言われて来た。相談内容は途中から逸れ、支援者の話を追えなかった。これは「相談することで何かを変えたい」という動機ではなく、「来ること自体が目的だった」状態を示している。
「悩んでいる」という言葉は、自覚の深さとは無関係に使われる。子どもに関わる支援の場で、この違いを見落とすことは、子どもの安全を左右する判断ミスに直結する。支援者が最初に聴かなければならないのは、「問題の中身」ではない。「その問題を、本人が問題として認識できているかどうか」だ。自分の関わり方が子どもに影響を与えているという認知が、Aさんにはある。Bさんにはそれがない。この差は、支援の方向性をまったく変える。
支援者が初回面談で注意すべきポイントを整理すると、次のようになる。
◆ 初回面談での聴き分けチェックリスト
① 出来事を時系列で語れるか——「昨日こうあって、そのあとこうなって」と順序立てて話せるか、それとも話が前後し、突然別の話題に飛ぶか。
② 子どもの気持ちへの言及があるか——「子どもも怖かったと思う」「痛かったと思う」といった、子の内面を想像する言葉が出てくるか。
③ 自責があるか——「私が悪い」「このままではいけない」という自己批判があるか。それとも「子どもが悪い」「周囲が悪い」と外に向くか。
④ 相談に来た動機が自発的か——自分の意志で来たのか、誰かに言われて来たのか。
葛藤のある親には「安心して話せる場」を。葛藤のない親には「子どもの安全を守る介入」を。支援者が「悩みを聴く」だけでは、後者の子どもは救われない。二種類の「悩んでいる」を聴き分けることが、支援者に求められる最初の専門性だ。












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