直接手を下すだけが加害ではない~助けてくれない母・かばってくれない母~

「お母さんは知らなかった」「お母さんも被害者だった」――そう聞かされて、納得しようとしてきた人がいる。そして、納得できないまま生きてきた人もいる。

直接手を下したのは父だった。あるいは兄、伯父、母の交際相手の男だった。けれど、家のどこかに母はいた。同じ屋根の下で、母は止めなかった。気づきながら見過ごし、気づかないふりをし、ときに父をけしかけた。

これらは「直接手を下さない」かもしれない。けれど、それらは確かに「加害側」であると言わざるを得ない。

この記事では、助けてくれない母・かばってくれない母の七つの類型と、その背後にある自己保身の構造、そして守られなかった子の中に何が残るのかを、順に整理していく。

目次

「お母さんもまた被害者だった」という言葉が遮ってきたもの

児童虐待が語られるとき、加害者として真っ先に名前が出るのは、当然、直接手を下した者である。一方、仮に実父が直接手を下した者だとした場合、母の名前が並んでいても、「止められなかった人」「自身もDV被害者だった人」として語られることが多い。

確かにこれらの言葉は、ある時期には被虐者にとっても必要な言葉となりうる。「母が加害者だった」という整理に真正面から向き合うことは、子供にとって激しい痛みに直面する作業だからだ。

「お母さんも辛かったんだ」と自分に言い聞かせることで、心を守っている時期は必要である。

けれど、その言葉がいつまでも心に居座り続けると、過去に向き合う時期がやってきたとき、内なる作業を遮る足枷となる。

心の奥底に閉じ込めていた母への複雑な感情がやっと出ようとした時に、周囲の母親に対する同情論「お母さんを責めるのは酷い」とぶつかり、また息を潜めることにもなりかねない、厄介な言葉となる。

守らない母の七つの類型

「助けてくれない母」「かばってくれない母」と一口に言っても、その姿は一つではない。当事者の証言を並べていくと、繰り返し見える類型が七つある。すでに社会的に「加害」として認識されている「自ら手を下す母」とは別の、その影に隠れてきた七つの型である。それぞれを順に見ていく。

① 父の暴力を止めない母

父が子を殴っている、その場に母はいる。けれど、何もしない。声をかけない、止めに入らない、警察を呼ばない。父だけでなく、兄、伯父、祖父、母の交際相手などからの加害もここに含まれる。母自身も精神的な支配下に置かれていることが多く、止められる余地は構造的に確かに少ない。それでも、子の側から見れば、その場に母がいて、そして動かなかったという事実は、長く記憶に残る。

父が子に暴力を振るう脇で、母が無言でいる場面を見てみよう。

夜、父が私を殴っているとき、母は廊下に立って見ていた。何度か「もうやめて」とつぶやいたが、それ以上のことはしなかった。翌朝、母は私に無言で絆創膏を渡し、傷の手当てをしてくれたが、父には何も言わなかった。父が出勤したあと、母は私に「機嫌の悪い日にはあまりお父さんを刺激しないで。あなたのために言うけど。」と言ってきた。

別の日の夕食。父が私の運んだ料理を見るなり「こんなもの食えるか」と怒鳴り、お皿を床にぶちまけた。母は台所に立ったまま、振り返らなかった。水を流す音は止まらず、私が泣いて謝っているあいだ、母は皿を洗い続けていた。食事の片付けのとき、母はテーブルを拭きながら「早く食べてしまいなさい」とだけ言った。

この型に共通する感覚は、「いるのにいない」である。物理的には同じ屋根の下にいて、暴力の音もうめき声も聞こえているはずなのに、何もしない――その矛盾が、暴力そのもの以上に、子の中に長く留まる。「殴られたことよりも、お母さんが助けてくれないことの方が痛かった」。そうつぶやく当事者は多い。

母自身も支配下にあったと知っていても、違和感は消えない。母の事情を理解しようとする時期と、それでも怒りが湧き上がる時期が、何年も交互に訪れる。怒りを抱いている自分を冷たい人間ではないかと責めるサイクルに陥ることもある。けれど、母の事情を理解することと、自分が受けた傷を認めることは、別の作業である。片方を選べばもう片方が消える二択ではない。

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