本記事は、前回の記事「知的障がいの『軽度』と『境界』とは?」の続編だ。まだお読みでない方は、先にそちらをご覧ください。
前の記事では、軽度知的障がいや境界知能とは何か——その定義や見えにくさについて伝えた。今回の記事では、知能が十分でないと苦手になる「意外なこと」について解説していく。
「意外な困難」
これから挙げる困難は、一見すると性格・誠意・やる気・常識・気遣いなどの問題に見える。しかし正常な知能があれば、こうした力は保育園・幼稚園から始まり、学校生活の中で失敗と修正を繰り返すうちに自然と身につく。成人するころには概ね行動に反映されている。それが身についていない場合、後天的な怠慢ではなく、発達の過程でその回路が十分に育たなかった可能性がある。
「相手の視点から自分を見る」という認知の作業は、これから挙げる困難のいくつかに共通する土台だ。
①相手の気持ちが読めない
人の感情を読む力は、幼児期の絵本や友達との摩擦の中でゆっくり育まれる。「そう言ったら相手が悲しいよ」という経験を繰り返すうちに、発言が相手にどう届くかを事前にシミュレートする回路が形成されていく。成人するころには多くの人がこれを無意識に行っている。
しかし知能に制約があると「この言葉を言ったら相手がどう感じるか」を、事前にシミュレーションする機能が弱い。同窓会での場面を例に挙げよう。
同窓会でのやりとり——
同窓生B「実は転職して新しい仕事を始めたんだ。給料はちょっと下がったんだけど、ずっとやってみたかった仕事でさ。まだ分からないことばかりだけど、頑張ってる」
同窓生A「え、転職?給料下がる?新しい仕事ってどんな条件なの?その仕事で大丈夫?もったいないなぁ。やめたのは失敗だと思うわ。」
同窓生B「(話すんじゃなかった・・・)」
Bは転職で勇気を振り絞った自分の決断を「新しいチャレンジ」として理解してほしかった。だがAは「転職=失敗」という枠で勝手に判断し、恐らく「激励」を望んでいただろうBの気持ちを読み取れなかった。Bが何を感じ、何を求めていたかを読み取れないまま、Aはデリカシーのない返事(ズレた返事)を返してしまった。これは感情の読み取りの問題だ。
感情だけではない。相手が何かを言ったとき、その言葉が「自分を修正するもの」として届かないという困難もある。
②主張が一方通行
「相手の反応を受け取る」という視点は、ごっこ遊びや友達とのトラブルを通じて就学前から少しずつ育まれる。「自分の言い分に対して相手が何を言うのか」を繰り返し経験するうちに、相手の反応を見ながら自分の言動を軌道修正するという回路が形成される。
知能に制約があると、この「相手の視点から自分を見る」作業がうまく機能しない。
相手が何かを言っても、その言葉が「自分の考えを変えるもの」として届かず、自分の論理だけで判断し続ける。
会話の場面で「相手が言ったことが自分の考えを変える材料として届かない」状態——これが主張の一方通行だ。
近隣住民とのやりとり——
隣人AがBの駐車スペースに無断で荷物を置いていた。気がついたBが声をかける。
隣人B「すみません、ここは私の駐車スペースなので、荷物は置かないでもらえますか。」
隣人A「え、平日はどうせ空いてるでしょ。邪魔になってないじゃないですか。」
隣人B「邪魔かどうかの問題ではなく、無断で使われているのが困るんです。」
隣人A「何も壊してないし、ちょっとの間だけだし。」
隣人B「そういう問題じゃないって、言ってるじゃないですか。」
Bが伝えたいのは「自分の所有物を無断で使われることへの不快感」だ。だがAには、それが届かない。
「邪魔かどうか」「壊したかどうか」という自分の基準で考え続けるので、Bの言葉が「自分の行動を見直す材料」として機能しない。Bが何を言っても、AにはBの言葉が入ってこず、一方通行な返答を返し続ける。Bは肩透かしにあっているような気持になる。一方、Aは会話が噛み合っていないことに気づいていない——自分はちゃんと返答している、という認識のままだ。
③ダブルスタンダード
「自分にも相手と同じ基準を当てはめる」という公平感覚は、学校での集団生活の中で磨かれる。ルール違反をした友達を責めて自分も同じことをすれば叱られる——そうした経験が積み重なることで、「同じ物差しを自分にも使う」という感覚が内側に育っていく。
しかし知能に制約があると、自分を客観視できず、他人には厳しいルールを求めながら、自分には甘い基準を適用してしまう(それに矛盾を感じない)。「他人がやれば問題、自分がやれば問題ない」——自他の行動に別の物差しを当てているのに、その矛盾が自分には見えていない。
前述した「②主張が一方通行」が「受け取れない」問題なら、今回は「自分を外から眺められない」問題だ。
職場での上司と部下のやりとりを例に挙げよう。
休暇申請をめぐる職場でのやりとり——
部下Bが、休暇の申請をしたのは1週間前のことだった。
部下B「来週の金曜日に休暇を取りたいのですが……。」
上司A「なんで急に?計画性がないよ。なんでもっと早く言わないの。」
部下B「(1週間前に申請しているのに……そう言われたら、取り下げるしかないか。)」
それから数日後。
部下B「明日の打ち合わせなんですが…」
上司A「ああ、その打合せなんだが、俺は欠席する。明日、急遽休みを取ることになったから。よろしくな。」
部下B「(いやいや……それはないだろ…)」
上司Aには、自分が部下Bにしたことと、自分がしていることが「矛盾している」という認識がない。部下には「計画性」を求めながら、自分は前日に突然の休暇を宣言する。同じ行動でも、自分がすれば問題なく、相手がすれば問題になる——そういう二重基準が、知らず知らずのうちに行動に出てしまっているのだ。
③が『自分の行動を外から眺められない』問題なら、④はもう少し違う角度の困難だ——自分の中にある考えを、相手に届く形で言葉にすることができない、という問題に移る。
④説明ができない
物事を順序立てて説明する力は、「どうしてそうなるの?」と問われる経験や、作文・発表の練習を通じて育まれる。「相手が分からない箇所はどこか」「どう言えば、相手が理解しやすいか」を考え、言語化する練習が積み重なることで、説明という行為が自然にできるようになる。上司と部下のやりとりを例に見てみよう。
部下B「この作業は、どのようにやればいいでしょうか?」
上司A「そんなの、いちいち説明させるな。目で見て盗め」
部下B「(見てはいたんだけど……どこを、どう盗めばいいのか……)」
数日後。部下Bが一通り作業を終えたとき。
上司A「全然違う。普通はこんなふうにならない。」
部下B「(だからその”普通”を教えてほしいのに…)」
上司Aには、「なぜそのやり方なのか」を言葉にできない。「見れば分かる」「普通はそうだろう」で済ませてしまう。相手が何を分からないのかを想像し、順序立てて伝える——そういう認知の作業が、うまく機能していないのだ。
ここまで4つの場面を見てきたが、これで終わりではない。「分からない」と言えない心理、社会常識が身につかない理由、記憶が一貫しないメカニズム——残り4つの場面には、さらに根深い背景がある。










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