「自分がしたことを認め、謝ってほしい。」
「なぜ自分に虐待をしたのか、理由が知りたい。」
「いつかは親も変わってくれるはずだ。」
被虐者が虐待親に対してこういった願いを持つことはごく自然なことです。
されたことの残酷さを考えれば、謝ったからといって水に流せる訳は決してなくても、真の謝罪が一言でもあれば、それは被虐者にとって大きな意味を成しえます。
しかし、残念なことですが、そういった日は来ないと思っておいた方が良さそうです。
「なぜあんなことをしたのか」と尋ねたとき、返ってくること
被虐者が大人になってから、子供の頃の虐待について、なぜあんなことをしたのか尋ねても
- 記憶にない
- そんなことしていない
- 過去のことをほじくり返すな
- あの時のあれはお前が悪かったからだ
- あれくらいのことでまだ根に持って、親を悪者扱いして、お前の方が酷い人間だ
などと、返り討ちにあってむしろ傷を深めてしまうかもしれません。あるいは形式的で誠意のない謝罪など、被虐者が到底受容できないような質の謝罪となるでしょう。
それでも確認したい気持ちは、あって当然
大人になった今だからこそ親本人に聞いて確認したい。そういった気持ちはあって当然ですし、その確認行動は大事なプロセスとなり得ることは事実です。
なので確認行動をとらないでほしい、ということではなく、
虐待親と対峙して、また飲み込まれてしまわないように
その日が来ると信じて、永遠に親に尽くし続けてしまわないように、
上記のことを事前に知っておいて頂ければ幸いです。
知的障害・境界知能の親には、「その日」はまず来ない
被虐者が我が子に虐待をしてしまった場合は、親自身の心の治療を行うことで「その日」が訪れることはあります。しかし、虐待親が軽度知的障がいや境界知能者だった場合、「その日」が訪れることはまずありません。
虐待をしたという認識がそもそもかなり低く、虐待の動機も、子育てや日常ストレスの発散、自己顕示欲の解消などといったものですから、おそらく自分がやったことの大半は忘れてしまっていると思われます。
記憶が残っていたとしても、それを「虐待」と自覚する力自体が低い。謝罪には「自分が誰かを深く傷つけた」という認識が必要ですが、その認識そのものが成立しにくいのです。
「その日」を待ち続けることは、回復への歩みを止めることになりかねません。謝罪がなくても、あなたがされたことは本物の傷であり、あなたには回復する権利があります。






コメント