「保護」された子どもと、非行少年が同じ場所にいる国

「保護」という言葉は、どこか温かい。危ない家から子どもを引き離して、安全な場所で守ってくれる——児童相談所の一時保護所を、多くの人はそんなふうに思い描く。

一時保護所は、虐待からなんとか逃げ延びた子どもが、やっとの思いでたどり着く場所。ここでなら安全に暮らせるはずだった。それなのに、そこで過ごした子どもたちの口からは、よく似た一言が漏れてくる。「刑務所みたいだった」、と。

助けを求めてたどり着いた被害者が、なぜ、守られるどころか、囚人のように閉じ込められるのか。この記事は、その一点を追いかける。

目次

たどり着いた先が、刑務所のようだった

刺繍風イラスト。編み目でできた時計と砂時計のそばで、膝を抱えてうずくまる子ども

一時保護所は、親からの暴力や育児放棄から子どもを緊急に引き離し、守るための場所だ。全国におよそ150か所(2025年時点)あり、年間で3万件を超える子どもが通り過ぎていく。

だが、その中で子どもたちが過ごす時間は、しばしば「守られている」とは言いがたいものになる。

ある10代の女性が過ごした一時保護所では、携帯電話も、筆記用具も、ティッシュさえも持ち込めなかった。私服は許されず、他の子と同じジャージに着替えさせられた。外出はできず、自分のいる部屋と外をつなぐのは、自傷や脱走を防ぐために数センチしか開かない窓ひとつ。下の名前しか名乗れず、身の上話は禁じられていた。風呂は15分と決められ、職員がタイマーで時間を計った。

彼女は、こう言った。「被害者のはずなのに、人間的な生活が送れないのは、おかしい」。

別の一時保護所では、私語をすれば「個別」と呼ばれる扱いになり、他の子と違う日課を組まれた。壁に向かって反省文を書かされた子どももいた。ある自治体では、なくなった1枚の紙を探すために、持ち物検査と称して少女たちが服を脱がされる、という出来事さえ起きて、後に「人権を侵害する不適切な対応だった」と謝罪された。

一時保護所を経験した子どもたちの言葉は、驚くほど似ている。

「刑務所みたいで、感情をなくし、脱走してしまいたくなる」

「誰かと話したい」

「安全だけど、安心ではない」

安全と、安心。この二つが切り離されてしまう場所。それが、いまの一時保護所の一面だ。

なぜ、こんなことになるのか。理由の一つは、この部屋にいるのが、虐待を受けた子どもだけではない、ということにある。

殴ってきた子と、殴られてきた子が、同じ部屋にいる

刺繍風イラスト。糸で仕切られた一室で、うずくまる子とこぶしを握る子が背を向け合う

一時保護所に来る子どもの、保護の理由はさまざまだ。ある年の統計では、およそ半分が虐待。一方で、非行を理由に入ってくる子どもも、1割から2割いる。

つまり同じ屋根の下に、家で殴られ続けて逃げてきた子と、外で暴力をふるって連れてこられた子が、一緒に暮らすことになる。

これがどういう事態を生むか。虐待から保護されたばかりの子どもは、大きな声を聞くだけで、体がすくむ。怒鳴り声は、その子にとって、殴られる前触れそのものだからだ。同じ部屋に、声を荒げたり反抗したりする子がいれば、被害を受けた子は、逃げてきたはずの恐怖を、もう一度味わうことになる。

ただ、この二分の仕方自体を、少し疑っておきたい。「非行の子」と呼ばれる子どもたちも、その多くは、もとをたどれば家庭で傷ついてきた子だ(この点は、後の章で数字とともに触れる)。殴ってきた子と、殴られてきた子。きれいに分けられるように見えて、実際には、どちらも傷ついた子どもであることが多い。

そして、扱いにくい子が一定数いる場所では、管理はどうしても厳しくなっていく。全員を黙らせ、同じ日課で動かし、私物を取り上げる。それが、手のかかる子を抱えた現場を、少ない人手で「事故なく」回すための、いちばん簡単なやり方だからだ。私語禁止も、タイマーの入浴も、こうして生まれてくる。だが簡単さと引き換えに削られていくのは、傷ついた子を癒すための時間だ。被害者を守るための場所が、被害者にとって非常に息苦しい場所になっていく。

行政も、この問題に気づいていないわけではない。国の指針は、虐待を受けた子と非行の子を「同じ空間で生活させないよう工夫すること」を求めている。裏を返せば、いまも混ざり合っている、ということだ。

奪われるのは、自由だけではない。学ぶ時間も止まる。この場所にいる間、子どもは学校に行けないことが多い。ある調査では、一時保護所の半分以上が「通学できていない」と答えている(2023年時点の調査)。虐待から逃げた子の場合、通学路で親に連れ戻される危険があるからだ。安全のために、教室から切り離される。数週間、ときには何か月も。被害を受けた子が、義務教育期間だとしても、勉強する時間も奪われていく。

守るための場所で、なぜここまで自由が削られ、学ぶ時間まで止まるのか。その根っこには、ひとつの大きな見落としがある。

傷ついた子が、問題児に見えることも

刺繍風イラスト。とげのある殻をまとい両手を上げる子ども。胸には金色の傷ついた心臓

一時保護所で「手のかかる子」「反抗的な子」とされる子どもがいる。ルールを破る。急に暴れる。職員から見れば、たしかに扱いにくい。

けれど、その行動の多くは、虐待という環境を生き延びていく過程でその子が身につけた反応だ。

いつ殴られるか分からない家では、大人の顔色を読み、先回りして身構えることが、生き延びる技術になる。信じた大人に裏切られ続ければ、差し出された優しさを疑うことが、身を守る術になる。感情を殺すことが、痛みに耐える唯一の方法だったりもする。

こうした反応は、危険な家の中では正しく機能していた。それを、安全なはずの場所に持ち込んだとき、初めて「問題行動」に見えるだけなのだ。

海外の子ども支援の現場で、近年広く共有されている考え方がある。子どもが支援についていけないのではない。支援の側が、その子の必要に応えられていないのだ、という発想の転換だ。「困った子」ではなく「困っている子」。「問題児」ではなく「傷ついた子」。同じ子どもを、どちらの目で見るかで、対応はまったく変わってくる。

傷ついた子として見れば、まずすべきは、静かで安心できる環境と、話を聴いてくれる大人だ。問題児として見れば、するべきは、管理と規律になる。いまの一時保護所は、しばしば後者に傾く。

では、なぜそう傾くのか。それは職員個人の冷たさの問題ではない。もっと古い、制度の成り立ちに理由がある。

なぜ、助けを求めた子が「非行の子」と同じ場所に入るのか

刺繍風イラスト。古い施設へと、小さな子どもたちが糸の道を一列で歩いていく

ここまで見てきたのは、緊急の避難先——一時保護所の話だ。数日から数週間、危険な家からいったん引き離すための、短期の場所である。だが、家に戻れない子どもは、そのあと、もっと長く暮らす別の施設へ移されていく。そのひとつが、児童自立支援施設と呼ばれる場所だ。同じ「子どもを守る施設」のようでいて、この二つは、成り立ちがまるで違う。

話は、100年以上前にさかのぼる。かつて日本には、非行に走った少年を「感化」する、感化院という施設があった。時代とともに名前を変え、少年教護院になり、いまから30年近く前、1990年代の終わりに、「児童自立支援施設」という名前に落ち着いた。「教え護る」から「自立を支える」へ。理念は柔らかくなった。

けれど、施設の骨格は変わっていない。もともと非行少年のためにつくられたこの施設は、いまでは虐待を受けた子どもも受け入れている。「非行の子の施設」とされてきた場所は、いまや、その多くが被害を受けた子どもで占められている。

制度の入口にも、同じねじれがある。虐待を受けた子どもは、家にいられなくなると、家を飛び出したり、夜の街をさまよったり、ときに暴力という形で助けを叫んだりする。だがその行動は、法律の目には「非行のきざし」と映る。被害の結果が、加害の予備軍として扱われてしまう。こうして、被害を受けた子が、非行の子と同じ入口、同じ施設へと流れ込んでいく。

保護と、矯正。守ることと、正すこと。本来はまったく別のはずのこの二つが、日本の制度の中では、長いあいだ、はっきり分けられないまま来た。だから、被害者が管理の対象にされることも、制度の側から見れば「例外」ではなく「構造」なのだ。

この構造は、変えられないものなのだろうか。他の国を見ると、そうではないことが分かる。

世界は、もう別の道を歩いている

刺繍風イラスト。両手のかたちの家に抱かれ、あたたかな灯りに包まれる子ども

多くの先進国では、被害を受けた子どもを、施設ではなく、家庭で育てるのが原則になっている。

家庭で暮らす子どもの割合を比べると、その差は歴然としている。日本では、社会的な養護——つまり、親と暮らせない子どもを社会が引き受ける仕組み——のもとにある子どものうち、里親などの家庭で暮らす子はおよそ4分の1にとどまる。イングランドでは、その割合がおよそ3分の2。オーストラリアに至っては、9割近くが家庭で暮らしている。日本は、いまも施設が中心の、数少ない先進国の一つだ。

処遇の分け方も違う。アメリカでは、虐待を受けた子どもを扱う仕組みと、罪を犯した少年を扱う仕組みが、制度としてはっきり分かれている。被害者は被害者の道を、加害者は加害者の道を通る。イギリスでも、福祉のために保護される子と、刑罰として収容される子は、根拠となる法律も、入る施設も別だ。北欧には、被害を受けた子どもの聞き取りも、診察も、心の手当ても、一つの子ども向けの家で完結させ、子どもをたらい回しにしない仕組みがある。

緊急の保護でさえ、施設に閉じ込めるのではなく、短期の里親家庭に託す国もある。守るために家庭から引き離しても、また別の家庭の温もりの中に置く。子どもから、日常と人の手を奪わない。

もちろん、これらをそのまま日本に移すのは簡単ではない。里親の数も、支える仕組みも、一朝一夕には育たない。それでも、方向だけははっきりしている。世界は、被害者を管理する方向ではなく、家庭とつながりの中で守る方向へ、とうに舵を切っている。

では、日本はどうか。

制度は変えた。子どもの毎日は、変えていない

刺繍風イラスト。金色に輝く真新しい看板と書類の下で、変わらずうずくまる子ども

この国は、制度の看板なら、何度も掛け替えてきた。目標を立て、基準をつくり、子ども政策の司令塔として、新しい省庁まで立ち上げた。だが、そのどれもが、子どもの毎日には届いていない。

2017年、国は大きな目標を掲げた。親と暮らせない幼い子どもの多くを、施設ではなく里親家庭で育てる。施設は小さくし、家庭に近づける。理念だけを見れば、世界の流れに追いつこうとするものだった。

一時保護所についても、もっともな基準が並んだ。鍵をかけて閉じ込めない。私物の持ち込みを認める。小学生以上にはできるだけ個室を用意する。学齢期の子は学校に通わせる。外部の目を入れ、子どもが自分の意見を言えるよう支える人も置く。子ども政策をまとめて担う新しい役所——こども家庭庁も、2023年に発足した。

文字にすれば、ある程度の基準である。問題は、そのほとんどが文字のままだ、ということだ。里親家庭で育てる割合は、高々と掲げた目標をよそに、いまも4分の1あたりで足踏みしている。子どもを守る専門職員は、増やす計画そのものが達成できず、都市部では奪い合いになっている。一時保護所は定員を超えたまま、行き場のない子どもが長く留め置かれ、新しい基準を実行する余裕などない。

予算の配分にも、それは表れている。子ども政策全体の予算は、こども家庭庁の発足から年々ふくらみ、2024年度から2025年度までのわずか1年で、約6.2兆円から約7.3兆円へと、1兆円あまり増えた。だが、その増えた分の多くは、児童手当の拡充にあてられたものだ。いっぽう、虐待から子どもを守り、親と暮らせない子を育てるための予算——里親や施設をふくむ社会的養護など——は、同じ1年で3,829億円から4,033億円へと、200億円あまり増えたにすぎない。ふくらんだ1兆円あまりのうち、この分野に回ったのは、2%にも満たなかった。さかのぼっても、傾向は変わらない。保護にかかわる予算は、ここ数年、毎年わずか数%の微増を続けてきただけだ。目標に名指しされたはずの子どもたちは、予算がふくらむ流れの、ほんの端に置かれている。

つまり、この国が変えたのは、制度の名前と、掲げる理念だけだ。子どもが実際に寝起きし、朝から晩まで過ごすその場所は、何年も前とほとんど変わっていない。理念だけが先に走り、現場と、そこにいる子どもが、置き去りにされている。

では、この置き去りを、どこから終わらせればいいのか。

どこから、変えられるか

刺繍風イラスト。大人の手が金色の糸を差し出し、子どもが手を伸ばす。奥の扉に光

「理想を言うのは簡単だ」と思われるかもしれない。だが、ここから並べるのは、理想ではない。すでに、いくつかの自治体が現に始めている、具体的な変化だ。

混ぜない——被害の子と、非行の子を分ける

岐阜県は、この問題を、行政の文書のなかではっきり認めた。県の検討委員会は2025年、「虐待や性被害を受けた子と、非行や家庭内暴力で保護している子が、混ざって生活せざるをえない状況では、子どもの心身の安全が脅かされる心配がある」と明記した。そのうえで、保護所を1か所から複数へ増やし、部屋をできるだけ個室にし、重い事件を起こした子や、人と接するだけで強いストレスを感じる子のために、別の生活エリアを設ける——そこまで設計に踏み込んだ。

大阪市は、すでに実装している。市内1か所だった保護所を3か所に分け、幼児・男子・女子で受け入れを分けたうえで、大部屋ではなく、少人数の生活単位で暮らす形に切り替えた。同じ屋根の下に、被害の子と非行の子を、ただ押し込める——そのやり方は、工夫しだいで避けられる。

外の目を入れる——密室にしない

東京都は、20年以上前から、施設に外部の評価を入れる仕組みを育ててきた。いまでは都内の一時保護所すべて、11か所が、外部の評価を受け、その結果を公表している。評価を重ねるなかで、全員を同じ日課で動かす集団管理から、一人ひとりの安定を第一にする個別の支援へと、運び方が変わってきた。子どもへの毎月のアンケートや、子ども自身が集まる会議も生まれた。2025年には、保護所からでもできるだけ学校に通えるよう、都の運用を改めている。

兵庫県明石市は、もっと入口を突いた。2021年、保護が本当に妥当だったかを、外部の委員が事案ごとに検証する仕組みを、全国で初めてつくった。児童相談所の所長を務めた経験者や弁護士が、保護されたほぼすべての子と直接会い、2週間ほどで意見をまとめて児相に伝える。「守るため」という名目が独りよがりになっていないかを、外から見張る目だ。

声を聴く——決めるとき、子どもに尋ねる

和歌山県では、保護された子のもとへ、弁護士や心理士が「意見をきく人」として出向く。2022年度から本格的に始まり、ある年には、対象となった168人の子のうち45人に、のべ53回会いに行った。子どもが漏らす「窮屈だ」「帰りたい」といった声は、一時保護所の日課や、児相の説明のしかたを見直すことにつながった。子どもに尋ねる、というだけで、場所は変わりはじめる。

見方を変える——「困った子」を「困っている子」として

そして、いちばんお金のかからない変化が、いちばん効く。傷ついた子として子どもを見る、という視点だ。じつはこれは、もう広がり始めている。こども家庭庁の調査では、全国の児童相談所の7割以上が、トラウマをふまえたケアの研修を、すでに職員に受けさせていた。問題は、そこから先だ。研修は受けても、それを組織のしくみにまで落とし込めている児相は、わずか1.7%にとどまる。学んだ視点を、個人の心がけで終わらせず、その施設のやり方そのものへ変えていく——伸びしろは、まさにそこにある。

家庭で育てる——時間はかかるが、不可能ではない

里親を増やすことは、たしかに時間がかかる。受け皿がないまま数字だけ急げば、子どもが振り回される。だが、「日本では難しい」という言い訳は、もう通らない。全国の里親委託率が平均で24%あまりにとどまるなか、福岡市は59%に届いている。児童相談所のなかに家庭養育を専門に進めるチームを置き、民間の団体と手を組んで、里親を掘り起こし、支え続けた結果だ。新潟市にいたっては、里親の説明会を年2回から2か月に1回へ増やし、専任の職員を置く——それだけで、新しく登録する里親が、年8組から2年後には15組に増えた。特別な魔法はいらない。手をかければ、家庭は増える。

例外を、標準に

ここに挙げた変化は、どれも、新しい法律や巨額の予算を待って始まったものではない。ある自治体が、目の前の子どものために、先に動いただけだ。だとすれば、いま問われているのは、たったひとつ。これらを、一部の熱心な自治体の「例外」で終わらせるのか、それとも、どこで保護されても当たり前の「標準」にするのか——。

助けを求めてたどり着いた子が、その場所で、もう一度傷つかずにすむように。変えられることは、思っているより、ずっと具体的で、もう始まっている。

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