「ゆさぶり」という言葉が隠していること
乳幼児揺さぶられ症候群、という言葉があります。
聞いたことがある人は多いと思います。赤ちゃんを激しく揺さぶってはいけない。そのくらいは、たいてい知られています。
ところが、どのくらい揺さぶると危ないのか。揺さぶられた赤ちゃんの体の中で、何が起きるのか。どうして死ぬのか。これらのことはあまりよく知られていません。
代わりに浮かぶのは、ぼんやりした像ではないでしょうか。育児に疲れ果てた母親が、追い詰められて、思わず——というような。ノイローゼ、という言葉が添えられることもあります。気の毒だけれど、自分とは関係のない、どこか遠くの不幸な話。
その像は、実際に起きていることとの乖離がありますが、その原因の一つは、たぶん言葉にあります。「ゆさぶり」という日常語が、具体像を奪っているのです。
私たちは毎日、赤ちゃんを揺らしています。抱いて歩けば揺れます。あやせば揺れます。車に乗せれば揺れます。ですから「揺さぶる」と言われても、その延長線上にある、少し強いもの、としか想像できない。強く揺らしすぎると危ないんだな、と受け取る。
けれど、そこで起きているのは、延長線上のことではありません。まったく別の出来事です。
この症候群が、よく知られた虐待とどれだけ違うか。並べてみます。
| よく知られている虐待 | 乳幼児揺さぶられ症候群 | |
|---|---|---|
| 続く期間 | 何年も続く | 数秒で終わる |
| 子の年齢 | 幼児期から学齢期 | 生後まもなく |
| 何をするのか | 殴る、蹴る | 揺さぶる |
| 外から見えるか | あざ、骨折。見える | 見えない |
| 何が起きるか | 慢性的に傷が積み重なる | 急に死ぬ、重い後遺症が残る |
同じ「虐待」という枠に入っていますが、時間の長さも、子の年齢も、見え方も、結末も、何一つ共通していません。
いちばん違うのは、いちばん上の行です。数秒。ここから見ていきます。
どのくらいなら「揺さぶり」なのか
危ないのは、揺らすことではありません。頭が、激しく振り回されて、首がしなることです。
まず、危なくない側から確かめておきます。
「揺さぶり」ではないもの
高い高いは、この症候群を起こしません。車のチャイルドシートの揺れも起こしません。首と体を支えた横向きの抱っこであやす程度の揺れも起こしません。抱いて歩く、あやす、バウンサーに乗せる——日常の育児動作で起きることはない、というのが医療の現場の説明です。
揺らしてはいけない、と聞いて、必要以上に過敏になる必要はありません。
「揺さぶり」になるもの
では、危ない側はどうか。
赤ちゃんの脇に手を入れて、縦に抱える。その状態で、腕を前後に動かす。重要なのはここから。頭が、がくん、がくん、と振られる。顎が胸につくくらいまで、あるいは耳が肩に触れるくらいまで、前後や左右に振られる。
首が、鞭のようにしなる。カクテルのシェーカーを振るような動き、と説明されることもあります。
そばで見ている人がいたら、誰でも止めに入る——その程度の激しさです。「少し強めに揺らす」ではありません。見た目からして、明らかに異常な動きです。
「何秒」の定義はない
ここまで読んで、多くの人が知りたくなるのは、次のことだと思います。
では、何秒揺さぶったら危ないのか。
一秒間に二往復以上、とするものがあります。一秒間に三往復、二秒間に五回以上、というものもあります。数秒でも起こりうる、というものがあり、一方で、二十分も三十分も揺さぶり続けること、と書かれているものまであります。
このばらつきには理由があります。「一秒間に三往復」という数字は、実際に測った値ではありません。赤ちゃんの頭の中に残った所見から、これだけの揺さぶりがあったはずだ、と逆算して推定した値です。実際に赤ちゃんを揺さぶって測ることは、当然できません。だから確定値がない。
ただ、確定値がないこととは別に、はっきりしている数字が一つだけあります。
実際に赤ちゃんが亡くなった事例で、裁きの場が認定した揺さぶりの長さです。
抱っこして、数回、激しく揺さぶった。それで、その子は亡くなりました。二十分でも、三十分でもありません。数回です。
その数回で、赤ちゃんの中で起きること
その数回で、何が起きるのか。
赤ちゃんの頭の作り
三つ、押さえておくと分かります。
一つ。赤ちゃんの頭は、体に比べてとても大きい。二つ。首が据わっていないので、頭を支える力がない。三つ。ここが大事なのですが、頭蓋骨の中で、脳は浮いています。固定されていません。
数回で、何が切れるか
この状態で、頭が前後に激しく振られると、どうなるか。
まず首が鞭のようにしなります。すると回転する力がかかって、頭蓋骨と脳が、大きくずれます。外側の骨と、中の脳が、別々の速さで動く。
脳のまわりには、細い血管が渡っています。骨と脳がずれれば、その血管は引きちぎられます。これが、頭の中の出血です。
目の中でも同じことが起きます。網膜が引っ張られて、あちこちで出血します。
さらに、脳の神経そのものが引きちぎられます。脳の表面近くで起きることもあれば、深いところで起きることもある。深いところには、呼吸に関わる神経があります。
すると、脳が腫れます。
赤ちゃんは、出血で死ぬのではありません
「頭の中で出血して死ぬ」——たぶん、多くの人がそう思っていると思いますが、違います。
小児医療の現場の説明では、典型的なこの症候群の例では、頭の中にたまる血の量はむしろ少ない。少ないので、手術で取り除く対象にならないことも多い。
つまり、血を抜けば助かる、という話ではないのです。抜くほどの血が、そもそも溜まっていない。それでも死にます。
死因は、腫れです。脳が腫れる。呼吸に関わる神経がやられる。それで、命に関わる。
先ほどの、数回で亡くなった子の死因も、これでした。頭の中の出血そのものではなく、そこから起きた脳の腫れです。
死ななかった場合も、軽くは済みません。言葉の障害。学習の障害。歩くことの困難。失明。
たったの数回で、です。
そこに至るまで
ここまでが、揺さぶられた側で起きることです。
ここからは、揺さぶった側です。人は、どうやってそこに行き着くのか。
どんな親の子でも、同じように泣きます
先に、赤ちゃんの泣きについて確かめておきます。
これまでの研究で、分かっていることがあります。赤ちゃんにどのような関わり方をしても、生後一〜二か月ごろに、泣きのピークが来ます。
どのような関わり方をしても、です。
そしてその泣きは、何をやっても泣き止まない、激しい泣きです。一日に合計五時間以上泣くこともあります。理由が分からないまま、泣き続ける。
それには終わりがあって、生後五か月ごろには、だんだん収まってきます。
読み返してみてください。ここには、親の育て方の話が一つも出てきません。抱き方が悪いとも、母乳が足りないとも、愛情が薄いとも書いていない。どのような関わり方をしても来るのです。
この事実を知っているかどうかで、その夜の意味が変わります。
疲れと、苛立ちと、「知らなかった」
赤ちゃんの泣きに困ったことはありますか、と聞かれて、こう答える人たちがいます。
ミルクをあげて、おむつも替えて、これで泣き止むのかなと思っていたら、それ以上に泣いていて、何をしてほしいのかなと悩むことがある。母乳を飲ませれば泣き止むのかな、おむつを替えれば泣き止むのかなと思ったけれど、何をしても泣き止まない。何で泣いているのか分からないというのは、しょっちゅうあった。寝るよりも泣いている時間のほうが長いんだと思って、疲れるときはもちろんある。夜中に起きるので、こちらも寝不足になっていて、その苛立ちと、泣き止まない不安がある。
私の方が泣きたいよ、と言いながら抱いている。
家庭の事情は違っても、繰り返し現れる似た光景があります。
泣かれて苛立つこと自体は、誰にでも起きます。それは、そういうものです。
問題は、その次に起きることです。
赤ちゃんの泣きにこういう特徴があると知らないまま、あやしている最中に激しく泣かれると、思わずかっとなって、激しく前後に揺さぶってしまうことがある——専門家は、そう説明します。
このピークが正常なもので、あと数か月で終わると知っている人と、何も知らないまま毎晩それに向き合っている人とでは、同じ夜が違うものに見えます。切り抜け方を知っている人と、何もかも初めてで試行錯誤している身とでは、心の余裕が違います。
もう一つ、差がつくところがあります。
かっとなったとき、そこで止まる人と、手が出てしまう人がいます。怒りにブレーキがかかりにくい人がいて、そのブレーキの効き方には、生まれつきの差があるとされています。
ブレーキが効きにくい人の場合、激発した怒りが、そのまま乳児に向かうことがある。子どもを泣き止ませる別の方法を知らなければ、なおさらです。
そのブレーキの効きに、なぜ差が出るのか。怒りと知能の関係を、別の記事で詳しく書いています。
その場面を見てみましょう。
生後五か月の場面
夜十時。娘が泣いている。夕方から止まらない。一日じゅう赤ん坊と過ごして、疲れていた。
深くは考えなかった。もう泣き声を聞きたくない、自分の時間がほしい、それだけだった。
母親は娘を抱き上げ、脇に手を入れて縦に抱えた。腕を前後に動かした。数回。娘の頭が、がくん、がくん、と揺れた。
泣き声が止まった。母親は娘を布団におろした。
次の日の夜も、娘は泣いた。母親は同じことをした。泣き声は、また止まった。
三日目の夜。揺さぶったあと、娘は泣き止んだまま、朝になっても目を覚まさなかった。
病院に運ばれた。娘の頭の中や両目の奥にも、出血が広がっていたが、血の量は、手術で取り除くほどではなかった。脳が、腫れていた。
娘は死んだ。
母親は「泣き止ませようとして、少し揺さぶっただけ」と話した。
泣き止んだ、という記憶
もう一度、場面に戻ります。
泣き声が止まった。
ここです。揺さぶると、赤ちゃんは泣き止みます。これは事実です。一時的に泣き止むことがある。
なぜ泣き止むのか。
脳震盪です。
激しく揺さぶられた赤ちゃんは、脳に衝撃を受けて、泣くことをやめる。このことは、揺さぶった本人には、分かりにくいです。
本人に見えているのは、泣き止んだ、という結果だけです。ずっと泣いていた子が、静かになった。うまくいった、と受け取る。
だから、次の夜も、同じことをします。
ここが、この症候群の厄介なところだと思います。
殴れば、赤ちゃんは泣きます。もっと泣きます。だから殴った人には、まずいことをしたという手応えが残る。あざも残る。
揺さぶると、静かになります。手応えは、成功のかたちで残ります。あざも残りません。
一回で死ぬこともありますが、そうでなければ、それは繰り返されます。うまくいった方法として、繰り返される。
そして、こう言うのです。
泣き止ませようとして、少し揺さぶっただけ。
この言葉は、本人にとっては嘘ではないのかもしれません。本人にはそう見えていたのです。「少し」揺さぶったら、「泣き止んだ」。本人の記憶の中では、それだけのことが起きた。
事故だったと本気で思っている人がいます。本気で思えるだけの理由が、この構造の中にあります。
誰の目にも映らない
見えないのは、揺さぶった本人だけではありません。
外からも、見えません。傷が全部、体の内側にあるからです。あざも、腫れも、切り傷もない。頭の中の出血と、目の奥の出血と、脳の腫れ。全部、外からは見えない場所です。
だから、この症候群は、こういう形で医療にたどり着きます。原因の分からない意識の障害。原因の分からないけいれん。ぐったりして、目を覚まさない。何があったのかは、連れてきた人しか知りません。そして連れてきた人は、揺さぶったとは言いません。言わないというより、本人の中では、言うようなことは何も起きていない。
小児医療の現場では、こうした子の最初の診察にあたるのは、ほとんどが小児科医と救急の医師だとされています。脳を専門にする医師が最初に診ることは、まずありません。
乳児のうちは、虐待に気づかれることが少なくなる——現場で言われてきたことです。
見えないままだと、どうなるか。
病院で助かって、家に帰された子が、その後で亡くなった例があります。上の子が亡くなり、次の子も同じように亡くなった家があります。どちらも、小児医療の現場が報告していることです。
一度目が見えなかったから、二度目が起きます。
外から見えない傷を、本人に自覚のない加害として。二重に、誰の目にも映りません。
この夜をどう終わらせるか
「どのくらいなら安全か」ではなく、「揺さぶらずに、この夜をどう終わらせるか」。
泣かれて苛立ってもいい、というのが一つ。苛立つこと自体は止められません。止めなくていい。大事なのは、無理に泣き止ませようとしないことだと言われています。
泣き止ませなくていい、というのが二つ。ミルクをあげて、おむつを替えて、暑くないか確かめて、それでも泣き続けていても、問題はありません。理由の分からない泣きには、有効な対処法がない。ないものを探し続けるから、追い詰められる。
その場を離れていい、というのが三つ。自分が苛立つ前に、赤ちゃんを安全なところに寝かせて、その場を離れて構いません。離れる部屋がなければ、廊下でも、トイレでもいい。少ししたら、戻って様子を見る。
そして四つ目。これがいちばん大きいと思います。
赤ちゃんの泣きにこういう特徴があることを、赤ちゃんの面倒を見る全ての人が知っていること。母親だけが知っていても足りません。父親も、祖父母も、その夜に赤ちゃんと二人きりになりうる全員が知っていること。
限界まで行って、踏みとどまった人が、こう言っています。
睡眠不足で疲れている中で泣かれたら、怒鳴りたくなる。手を上げたくなる。放置したくもなる。でも、やっぱり、踏みとどまる。
今が大変なのは分かっている。そんなアドバイスはいらない。求めていない。求めているのは助けだけ。ただ助けてほしい。
揺さぶらずにその夜を終わらせる方法は、あります。ただ、その方法は、たいてい一人では実行できません。
赤ちゃんの泣きには、終わりがあります。だんだん収まってきます。それまでの数か月を、どう渡るか。渡り方を知っている人が、そばに一人いるだけで、ずいぶん違います。
気がつくと、あの泣き声の季節は終わっています。









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