きょうだい間虐待——逃げ道が用意されていない子たちの構造

家の中で、突然に殴られる。気に入らないことがあると髪を掴まれ、馬乗りになって首を絞められる。相手は親ではなく、同じ家で育つきょうだいだ。

逃げようと考える。母も連れて家を出ようか、警察に通報しようか、精神科に連れていけないか——どれもこれも、現実的ではない。家には逃げるだけの金もない。警察に通報しても「きょうだい喧嘩」と返される。本人が拒絶しているのに、暴れている成人を、誰がどうやって合法的に病院まで連れていくのか。

ここで、きょうだい間虐待という言葉にふれておきたい。きょうだい喧嘩は、親の関心や物をめぐる、立場の対等な子ども同士の競い合いだ。一時的で、周囲からも見えやすく、たいていは成長とともに収まっていく。一方、きょうだい間虐待は、体の大きさや立場の力の差を背景に、繰り返し、相手を支配し傷つける目的で行われる。多くは隠され、親が介入しても止まらない。研究の上では、この二つははっきり別のものとして区別されている。問題は、現実の場面では虐待のほうが「きょうだい喧嘩」として片付けられ、見過ごされてしまうことだ。児童福祉や警察、学校、医療の専門家であっても、きょうだいの間に虐待が起こることを知らず、見分ける訓練を受けていないことが多いと、アメリカを中心とした研究では指摘されている。毎日のように殴られ、首を絞められる生活は、もう喧嘩とは別のものだ。

逃げ場は、家の外にも、家の中にもない。きょうだいから暴力を受ける子に、何が積み重なっていくのか。そして、なぜそれが見過ごされ、止められないのか。順に見ていきたい。

目次

きょうだいから日常的に暴力を受ける日々

きょうだいから日常的に暴力を受けている人の場面を見てみよう。

マユさん(仮名・30代)は、幼い頃から兄に暴力を振るわれて育った。兄が高校に上がる頃から暴力はひどくなり、止めに入る母にも矛先が向くようになった。父は早くに家を出ていて、頼れる相手はいない。マユさんと母のふたりで、その日その日をやり過ごすしかなかった。

気に入らないことがあると、兄は前触れもなく手を上げた。胸ぐらを掴んで引き倒し、床に押さえつけたまま何度も殴る。一度、壁に頭を押しつけられて動けなくなったとき、見下ろす兄の目は据わっていて、このまま意識が飛ぶかもしれない、と思った。

ドアは何度も蹴られて立て付けが歪み、棚から落とされた物が床に散らばったままになっていた。兄は一度火がつくと自分でも止められず、声が嗄れるまで怒鳴り続けた。マユさんが外に出ていると、携帯が鳴る。「今すぐ帰ってこい。戻らなかったら、お前の部屋めちゃくちゃにするからな」——その着信音を聞くだけで、手が震えた。

この生活で消耗していくのは、一度殴られた身体の傷ではない。いつ次が来るかわからない、という24時間体制の警戒だ。気配を読み、足音を聴き、機嫌を窺いながら呼吸する。家に帰ること自体が、緊張の継続になる。

外出している間も終わらない。電話がかかってくる。帰宅したら何が起きるかわからない。眠っている時間も含めて、安全な時間がない。家は休む場所ではなく、警戒すべき場所に変わっていく。

助けを求めても返ってくる言葉

逃げようと考えても、行く先がない。

「きょうだい喧嘩」と言われる

マユさんは何度も児童相談所と警察に相談した。「兄から日常的に暴力を受けている。母も殴られている。父は家を出ていて頼れない」——震えながら状況を伝えた。

返ってきた言葉は決まっていた。「それは少し行き過ぎたきょうだい喧嘩ではないですか。事件性があるとまでは言えませんね」「家庭の問題は、まず家庭で話し合ってください」。警察に駆け込んだときも、「事件性が出てきたらもう一度来てください」と言われた。

仮に通報して兄が拘束されたとして、数日で帰ってくる。怒り心頭の兄からどんな報復を受けるかわからない。マユさんは「最悪、誰かが死ぬだろう」とまで思った。

児童虐待防止法は、保護者が子に対して行う行為を「児童虐待」と定義する。きょうだいが振るう暴力はこの枠の外にある。配偶者間の暴力を扱うDV防止法も、きょうだい間は対象としていない。法的に「誰が誰に何をしたか」という構図にあてはまらない暴力として、相談の窓口で滑り落ちる。

そもそも、親が加害者である虐待ですら、保護のハードルは決して低くない。加害者がきょうだいで、親が問題を認めようとしない家庭では、制度は非常に遠い。公的な支援は、原則として親の同意がなければ動けない。その親が「うちの子同士のことだから」と取り合わなければ、扉は最初から閉じている。

「保護したら誘拐になる」と言われる

家の中に味方がいれば、まだ違ったかもしれない。だが、母も逃げる側には立たなかった。

マユさんは何度も、母に「ふたりでここを出よう」と持ちかけた。だが母は首を振るばかりだった。「あの子も、いつか落ち着くから」「行く当てなんてないでしょう」「出ていったら、あの子が何をするか分からない」。母は、息子のもとを離れることも、マユさんを連れて逃げることも、最後まで承知しなかった。母を置いて自分だけ逃げることは、マユさんにはどうしてもできなかった。

外の力を借りられないか。マユさんは知人を通じて、若者支援を行う民間の団体に相談した。

引き受けてくれた団体の担当者は、心苦しそうに、しかしはっきりとこう告げた。

「今の日本では、マユさんを保護できる法律が存在しません。暴力を振るっているのが親ではないため、児童相談所や行政でも対応ができません。マユさんを家から逃がすつもりが親にない限り、下手にうちで身柄の保護をしようものなら、誘拐扱いになりかねません。親が承諾しない限り、支援する手立てがないんです」。

ここに、もう一つの死角がある。親が「協力的でない」とき、当事者の意思があっても支援団体は動けない。被害きょうだいが成人していない場合、親権者の同意なしの保護は法的にリスクが高い。成人していても、親の家から離れる手立て(住居・収入)が用意されていない限り、結局家に戻ることになる。

児童虐待防止法・DV防止法・刑法の三重の死角

整理すると、きょうだい間の暴力は、現行の法制度の三つの隙間に落ちる。

法制度想定する対象きょうだい間暴力の扱い
児童虐待防止法親→子の虐待対象外
DV防止法配偶者・パートナー間の暴力対象外
刑法(暴行・傷害)あらゆる暴力適用は理論上可能だが、運用上「家庭内」は門前払いされやすい

刑法上は暴行罪・傷害罪が成立しうる。だが現場では「家族のことだから」「事件になってから」と保留され、被害が継続している段階での介入は限定的だ。結果として、家庭の中で耐えるしかない構造が残る。

外に、助けはなかった。だが本当に出口を塞いでいるのは、同じ家の中にいる、もう一人の存在だった。

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