「どんな家庭でも起こる」「あなたも連鎖する」――この二つの通念
親から受けた仕打ちを、誰かに打ち明けたことのある人なら、こんな言葉を浴びた経験があるかもしれません。
「どこの家だって、多かれ少なかれそんなものだよ」
「親も人間なんだから、完璧じゃないよ」
「育ててもらっただけ、ありがたいと思いなさい」
「あなたも親になればわかる」
専門家に相談しても、返ってきたのは似た言葉でした。「お母さんも余裕がなかったのよ」「今ではきっと後悔しているはず」。ひどい場合は、こう釘を刺されたかもしれません。「自分の子に同じことを繰り返さないように気をつけなさい」と。ずれの言葉も、当事者がいちばん知りたいことには答えていません。
そして専門家のこうした言葉の根っこには、世間に広く行き渡った二つの通念があります。
「虐待は、どんな家庭でも起こりうる」。
「虐待された人は、自分の子にも虐待しやすくなる=連鎖する」。
これらは厚労省の手引きや啓発でも繰り返される“公式の言葉”でもあります。
なぜ、自分の親は、ああだったのか。
そして――なぜ専門家でさえ、その「なぜ」を説明してくれないのか。
その「なぜ」をたどるために、虐待研究の60年をふり返ってみます。
専門家がさがし続けた、4つの「原因」
虐待が社会の問題として「発見」されたのは、思いのほか最近のことです。
1962年、アメリカの小児科医が「被殴打児症候群」という報告を出しました。全米70以上の医療機関、約300件。被害にあった子の半分以上が4歳以下で、1割以上が亡くなっていた。
アザ、頭の中の出血、新旧の入り混じった骨折。そして、親が語る経緯と、医学の所見が食い違っている。それまで見過ごされてきた子どもの不審な死や怪我の裏に、親の暴力があると、ようやく社会が認めた瞬間でした。
ただ、この発見と同時に、ひとつの言葉も広まります。「虐待は、どの家庭でも起こりうる」。出発点で、最初のボタンが掛け違っていました。
ここから専門家は、「どんな親が虐待するのか」を、主に4つの方向からさがし始めます。
- 親の性格や心の傾向。依存的・衝動的・未熟で、子に過大な期待をかける。叩かれた、侮辱されたと感じれば仕返しをし、まるで赤ん坊を対等な大人のように扱う。「自分のほうが子の被害者だ」と感じている、と書きとめた研究者もいます。
- 心の病。ただし関連が強いのは気分の落ち込みで、統合失調症のような重い病は1割以下と、むしろ少なかった。
- 暮らしの環境。孤立、貧困、失業、夫婦の不和、そして「育てにくい子」。
- 親自身が子ども時代に受けた虐待――いわゆる「連鎖」。
ところが、研究者を長く悩ませたことがあります。
この4つのどれを取っても、「これさえあれば必ず虐待になる」という決め手にはならなかった。性格に難のある親が皆そうなるわけでも、貧しい家庭が皆そうなるわけでもありません。
なぜ、決め手が出ないのか。じつは、いちばん初めに候補から外されていた可能性が、ひとつありました。








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